第16回
成長買いを兜町に持ち込んだのは私

むかしむかし、といっても40年前の昭和35年頃に、
私は、「株の神様」として
一世を風靡したことがありました。
小説家だった私が突然、株式投資をテーマにして
週刊誌で「会社拝見」と題して
私の推奨する株を取り上げたら、
週刊誌の発刊日に毎週のように必ず
その株がストップ高をして
兜町の雀たちをびっくりさせたのです。
神様、仏様、邱永漢様・・・と経済雑誌で
冷やかされたこともあります。

昭和35年といえば、
池田高度経済成長内閣のはじまった年で、
日本経済が新しい成長に向って
大きな一歩を踏み出したところでした。
私はただむやみにどの株を買えとすすめたわけはなく、
また誰もが知っている一流株を
常識に従ってなぞったわけでもありません。
当時、投資家たちがほとんど気にもしていなかった
無名の株のなかから将来出世するだろう成長株を
とりあげたのです。
ちょうど昨今、光通信だとか、ソフトバンクとか、
ファースト・リテイリングのような株を
(それもまだ皆が気づかなかった時点で)
推奨したのと同じだと思って下さい。

その中には石油化学工場の設計施工をする
千代田化工建設とか、
トンネル工事を得意とする佐藤工業とか、
肉食ブームの先頭を切っていた
徳島ハム(今の日本ハム)とか、
オーダー・メードからレディ・メードに変わる
サラリーマンの洋服の先端を切る
樫山オンワードといった会社もありました。
資本金も小さく、株価も安い会社でしたから、
私が推奨しただけでストップ高をしただけでなく、
何倍にも値上がりして、
株を買った人たちを儲けさせただけでなく、
株に対する考え方を一変させました。
誰もが知っている超一流株を買うよりも、
年々成長して大きく育つ株を買う方が
正しい株の買い方だという
考え方を吹き込んだのです。
言われてみれば、「コロンブスの卵」みたいなことですが、
株を買う人の考え方を変えただけで、
株価の居どころが一変してしまったのです。





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