第219回
「西遊記」原作のいわれ因縁

私はいま同じこの「ほぼ日刊イトイ新聞」に
もう1つ「西遊記」の連載をしています。
ご愛読いただいている方から、時々思い出したように
Eメールをいただいておりますが、
大抵の方が子供の頃に読んだ
孫悟空のイメージと重なりあわせて、
「気宇壮大で面白いですね」
と感想を述べてくれたりしています。

私が種本にした呉承恩という人の「西遊記」が
気宇壮大であることは間違いありませんが、
私が40年前に5年4ヶ月にわたって
中央公論誌に長期連載した私の「西遊記」と
500年前に書かれた呉承恩の「西遊記」は
似てもにつかぬものです。
全8冊の藤城清治さんの影絵入り
邱永漢「西遊記」が完成した時、
新聞の読書欄で感想を述べた人が
「もう少し原本に忠実だったらよかった」
と書いていましたが、
「ハハン。この人は原本を読んでいないから、
こんなことが言えるんだなあ」
と私は思いました。
原本はとても退屈で、しかもくりかえしが多く、
とても最後まで読み通せるような代物ではないのです。

たまたま私は子供の時から
日本語と中国語の双方に親しんできたので、
何とか最後まで通読できましたが、
それでも途中で何度投げ出そうと思ったかわかりません。
呉承恩という人は文才はあったけれど、官運に恵まれず、
郷貢生(きょうこうせい)に1回合格しただけで、
以後2回も続けて落第しています。
50才になってから南京に出て就職はせず
友人の世話になりながら専ら売文渡世をしています。

60才になってから長興県の県丞になったけれども
上司と折り合いが悪く
「腰を折るを恥じ、遂に袖を払って帰り」、
あともう1回再就職していますが、
これも3、4年で辞めて以後故郷に閉じ込もり、
82才で生涯を終っています。
「西遊記」はこの最後の10数年に
執筆したものと思われますが、
誰からも相手にされなかったので、
書斎の中で想像力を働かせて、
孫悟空を一跳び10万8千里の彼方まで走らせて
溜飲が下げたものと考えてよいでしょう。


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