第345回
他所者でないと成功できません

新しい事業をやって成功をした人を見てもわかります。
京都には日本国中に名を知られた会社が
いくつかありますが、
その創業者はみな
よそから乗り込んできた人たちばかりです。
ワコールの塚本幸一さんは滋賀県の人だったし、
立石電機の立石一眞さんは熊本県の人でした。
京セラの稲森和夫さんは鹿児島県の人です。
西陣とか、京料理とか京都の伝統産業くらいしか、
京都人によって営まれている商売はありません。
もし京都出身で日本国中に知られた実業家があるとすれば、
それは東京や大阪の大企業の
サラリーマン社長になった人くらいなものです。

江戸っ児についても同じことが言えます。
いい環境はいい人材を生まないのです。
東京は日本国中から田舎者が集まってくるところですが、
初代目はともかく、二代目以下になると
環境がよすぎて発奮しなくなります。
というより発奮がする必要がなくなってしまいます。
私は他所者ですが、うちの子供たちは東京者ですから、
よそに行って一旗あげようなんて考える者は
1人もおりません。

現に戦後の東京で大成功を収めた成功者たちも
ほとんどが田舎の出身者です。
産業界の構造の変化する時にたまたま東京に居合わせて、
無一文に近い状態から出発しています。
でなければ、関西とか地方都市で成功してから
東京に攻め上がっております。
この場合の上洛は京都ではなくて東京です。

たとえばいまから3、40年前、
デパートに殴り込みをかけたスーパーの創業者たちは
ほとんどが地方の出身者でした。
資本もろくにありませんでしたから、
店をつくる場合も、都心部は避けて
八王子とか千住とか千葉とか、
お金のかからないところから出発しています。
それがお客を呼んで商売が成り立つようになると、
販売のネットを拡げて全国組織をつくりあげたのです。
最終的には都に攻め上がって全国制覇をやらないと
成功したことにはなりませんから
全国的に名を知られるようになりますが、
その素性を明かせば他所者なんです。
他所者にとっては心強い話です。


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2001年2月18日(日)

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