第1029回
檀一雄さんのお世話になりました

檀一雄と言ってもわからない若い人がふえてきました。
「檀ふみのお父さんだよ」と言うと、
「あ、そうか」とやっとうなづいてくれた時代もありました。
坂口安吾、太宰治、檀一雄と言えば
無頼派ご三家ですが、
その最後の人気作家が檀一雄さんです。

小説家を志して私が東京へ出て来た時、
私はジャーナリズムの世界に
ほとんど知人がいませんでした。
檀さんは東大経済部の私の先輩で
直接面識はなかったのですが、
2年先輩の台湾の友人が
よく檀さんの話をしていたので
戦前から名前は存じ上げていました。
私が小説を書きはじめた頃、
檀さんは「リツ子、その愛」とか
「石川五右衛門」などの作品で
既に第一線の流行作家になっておられました。

そこで私が「大衆文芸」に載った作品に添えて
ハガキを1枚出したら、
すぐに雑誌社に電話があって
「出版の世話をするから連絡をするように」
と伝言がありました。
のちに私が直木賞をもらった祝賀会の席上で
檀さんは「どうせ下手な小説だろうと思ったが、
台湾を舞台にした小説を書こうと思っていたので、
もしかしたら参考になる資料があるかも知れんと思って
パラパラめくったら、なかなかの作品だったので、
それから自分が邱さんの原稿の
売り込みまでするようになったのです」
と挨拶をされたことがあります。

檀さんとの初対面は
雑誌社に電話をいただいた直後、
奥多摩で石にあたって胸を負傷した
檀さんが入院していた慶應病院の病室でした。
病人だからおとなしく寝ているかと思ったら、
知人友人が押しかけて
飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで
近所から苦情が絶えなかったようです。
退院して家へ帰る途中に
私の売れない原稿を
有名出版社まで持ち込んでくれたのですが、
檀さんの威力を持ってしても、
その原稿が陽の目を見たのは
私の直木賞が発表されてからあとのことでした。

以来、私は正月になると、
長谷川邸、佐藤邸、檀邸と
正月の挨拶に行きましたが、
一番最後に行ったのが檀邸でした。


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2003年1月3日(金)

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