第1644回
揚子江から全中国が見えるのです

いまから12年前に、
四川省長さんが私を三峡下りに誘ったのは、
私を成都まで引っ張って行けば、
台湾企業の企業誘致のきっかけになるだろうと
考えたからでした。
その時、私がつれて行ったのは
総勢80名の台湾企業団でしたが、
私たちが成都に着くと
熱烈な歓迎を受けただけでなく、
成都市長さんが先頭に立って、
私を町の眞ん中にある3つの開発候補地に案内し、
その中の1つを選んで
是非、開発して下さいと要請されました。
私は上海、北京、天津と
3ヵ所建て続けに開発を引き受けたばかりで、
あまり気が進まなかったのですが、
その熱意にほだされて、
とうとう諸葛亮孔明の廟のある
人口1千万の西部の大都会の銀座にあたる繁華街に
4千坪のショッピング・センターを建設する破目に
おちいってしまったのです。
まだ山の物とも海の物ともわからなかった
中国経済の発展に
いきなり全財産を賭ける私を見て、
台湾の人たちもさすがに驚きを禁じえなかったようでした。

その成都市から重慶市に出て、
三峡下りの船に乗り込むと、
同行した台湾の実業家の一人が
「邱センセイは中国の将来をどう考えておられますか」
と質問しました。
「あなたはどんな仕事をしているのですか」
と私はききかえしました。
「僕はいま台湾で婦人服の店を30店ほど経営しています」
とその人は答えました。
「じゃ台湾はその程度にして、
 これからは中国大陸で全力を尽して
 同じことをおやりになったらいかがですか?」
とすすめました。

私が少しも怖れずに投資をしているのを見ているので、
きっと説得力があったのでしょう。
その人は私のアドバイスに従って上海に工場を建て、
全国に小売店のチェーンを着実に拡げて行ったので、
この10年にフランチャイジーもあわせて
300の店ができました。
中国もいよいよこれから本格的な
消費時代に入るところですから、
業績が上がるのはむしろこれからと言ってよいでしょう。

もう一つ、私たちの三峡下りの船が宜昌市に入ると、
安微省の合肥市長さんが
2日2晩、車を運転して、乗りつけ
私たちの到着を待ち構えていました。


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