第1776回
日本人の心琴にふれる演歌よ、出でよ

私は日本の演歌にとても興味を持っています。
日本のインテリが演歌とか落語を
さげずんだりするのを見ると、
とても不思議な思いをしてきました。
日本人の気性に一番あっているのは演歌で、
美空ひばりをバカにする人でも
外国に行っている時は気がつかないうちに
ひばり調のメロディを
口ずさんでいるのではないかと怪しみます。

もちろん、同じ節まわしの曲ばかりきかされたのでは
誰でもうんざりしてしまいます。
毎日、同じ料理ばかり食べさせられたのでは、
日本料理の好きな人でも、
イタリア料理や中華が食べたくなるものです。
ですからフランス料理に対して
ヌーベル・クゥイジーンが現われたように
西洋音楽の流れをくんだメロディが次々と現われて
日本のハヤリ歌の中に定着したとしても
何の不思議もありません。

しかし、時計の振り子だって
向うに行きすぎるとまた元へ戻るように
歌だって西洋もどきばかりきかされると
日本人の血の中を流れているメロディに戻るはずだと
私は信じています。
ところが、一向に戻らないどころか、
輸入メロディ共々、共倒れになってしまったと感ずるのは
私一人だけでしょうか。
ゴールデン・アワーの番組があまりにもバカバカしいので、
せめて歌謡番組で気晴ししようと思っても、
ここも連年の不作が続き
人々の胸をおどらせるような大ヒットには
全く出会わなくなってしまいました。

作曲家たちがあまりに多くの仕事を抱えすぎて
疲労困憊(こんぱい)してしまったのか、
それともかってないほど知的財産の守りが堅くなって、
ちょっとでも先輩たちの著作権をおかしたら訴えられるので、
逃げ場を失ってしまったのでしょうか。
そのために日本人の心琴にふれるメロディを
避けて通らなければならなくなって、
日本人の心は沙漠の中に迷い込んでしまったのでしょうか。
恐らく2つとも関係があると私は見ています。
もしそうだとしたら、
少々先輩から失敬してもいいから、
日本人の心琴にふれるところまで
戻ったらどうでしょうか。
いくら何でも演歌の衰えは
ひどすぎると嘆いているのは
私一人だけでしょうか。


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