第2073回
金持ちが貧乏人を金持ちにするのです

私がはじめて北京に乗り込んだのは
1988年9月のことでした。
次にもう中国の大転換は近いから
我々の出番があると思って、
台湾から投資考察団を40名ほど引率して
上海、北京入りをしたのは、
小平の改革開放宣言が行われる
約半年前の1991年の8月のことでした。

既に中国がどんな道を歩くことになるか、
私には予想できたので、
私について大陸に行った人たちにも薦め、
私自身も大陸投資をすすめる決心をしたのはこの時です。
私はとらぬ狸の皮算用をしました。
当時、上海や北京のサラリーマンの平均収入は
1人当り人民元の300元でした。
工業化がはじまれば、
平均所得は急速に上がりはじめるから、
恐らく10年で3倍くらいにはなるだろう。
1人当りの収入が1000元に近づけば、
人々の収入もふえるが、
それ以上に人々の考え方が大きく変わるだろうと
私は予想しました。

はたして10年たつと、上海や北京や広州など
開発の先端を切る大都市では
一般庶民の平均賃金は
1000元をこえるようになりました。
もちろん、広大な領土を擁する中国には
開発の遅れた地域もあり、
また都会と農村では所得の構造に
大きな格差がありますから、
国全体の開発のすすむほど
貧富の格差も大きくなります。
なぜならば、
経済の成長は全国同時に起るものでもなければ、
国民のすべてに富をもたらすものでもなく、
どこかで誰かが先鋒を切り、
その人たちが牽引車になって
他の地域やその他大ぜいの人にも及んで行くのが
正常な動きだからです。
皆で貧乏をすることはできますが、
国が豊かになる場合は
富を生み出す力のある者が先陣に立って
そのおこぼれが過疎地帯の隅々まで及んで行くのが
お金のしぜんの流れなのです。

いま貧富の差と都市と農村の格差を
問題にする議論が多く見られますが、
経済の動きに無知な
理想主義者の空理空論と言ってよいでしょう。
先に金持ちになる人がいなければ、
国全体が豊かになる道もひらけないのです。


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