中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2849回
正月のパーティに招ばれる下戸に一言

ことしもあッという間にすぎて、
年の暮れを迎えるシーズンになってしまいました。
私はクリスチャンでないので、
クリスマスには特に何か催しをやるわけではありませんが、
昔は自分より若い人たちを大ぜい家に集めて
盛大なパーティーをひらいて大盤振舞いをしました。

ご馳走というのは、
自分の仕事に役に立つ人とか目上の人にやるものではなくて、
話をして楽しい人とか、
自分より若くてまだ宴席に馴染んでいない人たちを
楽しませるためにやるものだと思っています。
したがって、
社会的地位のない人たちだから、
ご馳走の中身を落したり、
酒のランクをおとして手抜きをやることはありません。
むしろふだんは手の届かない高級シャンパンとか、
ボルドーの銘酒の栓を抜き、
食後にはXOのブランデーで楽しんでもらいます。
宴会馴れした人にとってはごく当たり前のことであっても、
若い人にとってははじめての豪勢な宴会で、
恐らく一生記憶に残る宴席になるからです。

ただ最近は飲んだくれが目立って少くなりました。
飲んべえはいまも飲んべえですから
いくらおかわりしてもいやとは言いません。
反対に下戸はグラス一杯、高級ワインを注いでも、
平気でそのまま最後まで残してしまいます。
飲めないのなら最初から
「飲めませんので」
と断ればいいのに、
下戸に限って人の家のワインのコストに全く無関心なのです。
1度注いだワインをまた他の人のグラスに移すわけにも行かず、
結局、捨てることになりますが、
「あいつはオレに3千円ドブに捨てさせた。
もうこの次は上等の酒なんか出してやるものか」
とついでに捨て台詞まで吐かせてしまいます。
下戸の無神経とでも言ったらいいのでしょうか。

きっとそういう人は仕事をやって行く上でも
無駄に対して無神経に違いないとかんぐりたくなってしまいます。
人の食事の仕方をしているのを見ると、
その人の神経の使い方がわかります。
人間観察のために若い人をご馳走しているわけではありませんが、
下戸もそのくらいの神経は使って下さいよ
と言いたくなります。


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2007年12月28日(金)

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