中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3849回
人との出会いが人の運命を変えます

佐藤春夫先生が亡くなってからもう10年もたってからのことでした。
もう誰も挨拶に来なくなった関口台町の佐藤邸に
私が家内と娘を連れて新年の挨拶に行き、
2階にある先生の佛壇に線香をあげていると、
そこへ見知らない来客があって、
佐藤先生の奥様に案内されて階段をあがってきました。

奥様の紹介によると、
その人は竹田厳道さんと言って北海タイムスの社長さんだそうです。
北海タイムスなら私も度々北海道に講演に行っていて
顔見知りの記者もいましたので、
すぐ打ちとけて下世話な話をするようになりました。
もうその頃には私ももう原稿の売れなかった
昔の貧乏文士ではなくなり、
中央公論社の巻頭論文の常連執筆陣に名を連ねていたし、
また週刊誌に株の話を連載したり、
ラジオで自分の時間を持つ流行タレントになっていました。
向うも当然、私の名前もよく知っており、
私がどんなことで名が売れているかも充分承知していました。

私が「北海タイムスはどんな調子ですか」
ときくと、社員が600人くらいいて、
自分は営業上がりだけれど、
毎年、季節が来るとストに悩まされている
という話を気さくに話してくれました。
調子に乗って、
「社長の月給っていくらですか?」
ときいたら、
「30万円ですよ。30万もらって、
新聞社の営業からスト対策までやるんですから、大へんですよ」

私のような駆け出しだって
月に100万円の収入はあるようになっているので、
「600人の給料の心配までして、
たったの30万円では割りに合いませんね。
私なら100万円か200万円売って
50万円の儲けがある商売を考えますよ。
カッコよく見えても新聞社の社長なんてワリに合いませんね」

初対面の私が無遠慮なことをズケズケ言うので、
向うもこいつユダヤ人じゃないか
といった表情をして私を睨みかえしました。
それが私と竹田厳道さんとの初対面です。
まさかその時の話が機縁になって私が「株の神様」から
「お金儲けの先生」にされてしまうとは、
夢にも考えていませんでした。


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2010年9月23日(木)

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