元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第28回
もし、ガンになったら「臨死体験」も大事にしよう

なぜ「生きるイメージ」を強く頭に描くことが大切か?
ガンからの生還のための「心の療法」について話を続けましょう。
たしかにガンのような難病に克つには、
最新設備の整った病院で、
最新の治療法を受けることが第一と信じられています。
しかし、ガンは手足の切り傷、擦り傷や皮膚のデキモノと違って、
体内の正常細胞が一日何千個、何万個と壊されていく、
いわば「突発性の老化病」といえる、しぶとい病気です。
一発で完治できるような「手術」も
特効の「化学薬」もこの地球上にはありません。
遺伝子解析による最新の分子標的治療がもてはやされていますが、
これとて、まだまだ未熟な人体実験の段階でしょう。
肺ガン新薬の「イレッサ」にしても1錠7000円以上という高額薬品です。

おまけに、大半がガンそのものではなく、
治療の後遺症、合併症、さらに許せないことに、
医師の手術ミス、病院の院内感染といった
医療過誤に類した治療人災で命を落とすケースが多いのです。
またガンは10÷5=2と割り切るような切開手術では治せません。
人間の命はただの「臓腑器の塊」ではありません。

昔から「病は気から」という諺がありますが、
人間の心身は臓腑の働きだけでなく、感情、意識などの目に見えない精神性、
心性や霊性に連係して生命が維持されているわけですから、
狭い意味での医の技術だけでなく、より大きな命の哲学を取り入れた、
心身全体の療法を取り入れないと、とてもとても克てない厄介な病気なのです。

えー? 気? 心? 霊性? そんな呪いみたいなことを持ち出して、
ガンを克服しようとしても治らんよ…
大抵の健常者からは失笑を買いますが、
一度、ガンになって命と人生に絶望し、
さらに現代医療でも「治らない」とその限界を知ると、
患者は自らの「死」と否応無しに向き合わざるを得なくなります。
青年期には、書物や頭の中で、
老後、尊厳死、死学、死後の世界といったことを知るのですが、、
己が「逃れられない死」と直面して初めて、
「明日の命がない!」という瀬戸際に立たされて恐れおののくです。
ここで落ち込むと助かる命が助かりません。

どんなに気丈な人でも、名医でも死の恐怖から逃れることはできません。
むしろ、逃れられない死に直面したことを、
「これぞ、長い人生の転機への警告だ、贈り物だ」と思って、
これまで体験したことのないような臨死体験すら前向きに考える…
そうした運命に立ち向かう覚悟が、
とくにこの長寿社会では大切なことだと僕は思っています。


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2002年9月24日(火)

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