元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第360回
福祉事務所の冷たい仕打ち

拙著「母はボケ、俺はガン」から
マダラボケが始まった頃の老母の様子を引用します。
ちょっと、ユーモラスですが、
思い出しても悲しくなる
わが母“どっこい!お婆ちゃん”の痴呆物語なのです。

「すでに父は他界していたが、
こんどは介護していた母親が介護される側にまわった。
さて、この母は父親に比べれば“元気”といえる範疇にいた。
病人に“重病人”と軽病人“という分け方があるとすれば、
軽病人である。
これが介護の方策を難しくさせた。(略)
母親はその歳になってから「よいしょ」とか
「はい」とか「こんにちは」「有難う」と言いたいとき、
一言「どっこい!」とわめくようになった。

英語の「Hello」のようなものだ。
ついに「どっこい、どっこい、どっこいな!」と
鉄道唱歌の節回しに合わせて
病室から病室を徘徊するようになり、
2ヶ月で病院を追い出されるはめになった。
病名は脳梗塞と硬膜下水腫による軽度の痴呆である。(略)

早速、統括の福祉事務所に行ってびっくりした。
何が東京・特別区の福祉行政だ。
出てきた40がらみの女性に(略)
『それはマダラボケね。
あなた見張りのための介護なんて出来ないのよ』と
ケンもホロロなのである。
軽度の痴呆を“マダラボケ”と呼ぶと知ったのはこのときだ」

数日して、自宅に福祉事務所の新米女性係員がやってきたのですが、
まだ、いまのような介護制度がなかったからでしょうかね。
軽度のボケ老人には
デイケアサービスとか住宅改造費の支援はもってのほか、
風呂用のビニール張り腰掛を1万円で売るというのです。
福祉制度のお粗末さにさすがの妻も頭が切れました。

ここでも、ひたすら神様のお助けを信じて生きてきた、
“純朴な小羊信徒”の老母の前に
医療の壁が重〜く立ちはだかったのです。


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2003年8月22日(金)

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