元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第613回
子宮頚ガンよ、さようなら

「さまざまなご縁に感謝の日々」という、
雑誌「健康ファミリー」のガン体験者特集に登場した、
スローヘルスの会の仲間、
長崎の“蝶々さん”の子宮頚ガンを撃退して3年――
その闘病秘話の続きです。

「(2002年)10月18日、手術。(略)
 1週間ほどして、オペ後の説明を聞いて、
 私は初めてパニックに陥りました。
 子宮は取っていない。
 IV期まで進んでいて、リンパにも転移している。
 手に触れるとゴロゴロ腫れていて、
 どこまで進んでいるかわからない…。」
 こうして辛い、痛い抗ガン剤治療が
 はじまったりました。

「抗ガン剤は2種類の抗ガン剤の併合を3クール。
 放射線は腹部・腰部だけでなく幹部への直接照射も、
 許容量ぎりぎりまで受けました。
 出産の姿勢で固定されて1時間。
 我慢してても涙が出るほど痛いんです。
 吐き気。下痢、食欲不振。
 脱毛が始まったときは、
 覚悟していたもののショックで治るかどうか判らないのなら
 いっそうのこと、自殺も考えましたが、
 応援してくれる家族や友人に悪いと
 生きる道を選択したのです」

翌2003年2月に退院。
なんと、医師から『余命半年』と
烙印を押されたというのです。
ほんとうに大学病院のガン治療は乱暴です。

抗ガン剤と放射線による疼痛とは、
経験した人でないと分かり難い痛みです。
僕の場合も、ずきずき傷むというのではなく、
体全体が鈍痛に包まれ、
人生そのもがイヤになる――
ハッキリいって魔物のような薬でした。

たしかにガン細胞も叩くが、
全身の正常細胞を
大量の化学薬が傷めつけるのですから、
いまにして思えば、
大抵の患者が、
ガンそのもので苦しんだり疼痛を感じるのではなく、
抗ガン剤の副作用で苦しんでいるわけです。
ですから、ガンの患者が自殺したいと闘病記に書いたり、
もう人生がイヤだと厭世観を抱くのは、
大量の抗ガン剤のせいのケースが多いと僕は思っています。

ともあれ、さすが、普段は陽気な“蝶々さん”も、
自分が信じられないような人生の地獄を、
大学病院の治療で体験させられたわけです。


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