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         第674回 
          玄奘や法顕も目指したシャングリラ 
        フンザの村といえば、 
          長寿で知られ、10年程前には 
          120歳の老人が元気に暮らしている 
          まさに桃源郷として有名でした。 
          いまでは、このカラコルム・ハイウエーの交易が活発になり、 
          村のあちこちにコーラの看板が林立するくらいですから、 
          食生活にも欧米化の弊害が入ってきたようで、 
          長寿年齢もいまは日本並みのようです。  
        もう少し早い春の時期でしたら、 
          名物のアンズ花が咲き乱れ、 
          まさに桃源郷の景観だったでしょうが、 
          それでも、緑が濃く、 
          キルギット川の渓谷も幅広く広がって、 
          段々畑は小麦やジャガイモ畑が自然の造形にマッチして、 
          それは美しい芸術作品のように広がっておりました。  
        バラやマーガレットの花が咲き乱れ、 
          プラムやさくらんぼがたわわに実り、 
          手づかみで食べることが出来るのですから、 
          さぞや、昔、玄奘三蔵や法顕三蔵が 
          険しい渓谷を超え、 
          砂漠を越えてインドに仏教経典を求めて 
          このヒマラヤ超えをしたときに、 
          一瞬、目の前に開けた 
          この光り輝くような光景に、 
          「ここはシャングリラ=桃源郷に違いない」と 
          思った様子が分かります。  
        僕は60歳半ばで、 
          この地をバスという 
          現代の便利な乗り物で手軽に訪れたわけですが、 
          やはり60歳を過ぎて、 
          西域のタクラマカン砂漠を渡り、 
          この渓谷に踏み入れた法顕などは、 
          まさに艱難辛苦の末にここにたどり着いたわけです。 
          法顕はその伝記の中で次のように書いております。 
          「沙河中、多く悪鬼熱風あり。遇えばすなわち皆死す」  
        ともあれ、 
          僕たちは法顕のように自然の脅威だけでなく、 
          人間の憎悪が作り出す戦争の脅威という 
          悪鬼のさえぎる中をくぐる抜けて、 
          桃源郷=フンザにたどり着いたわけです。 
        
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