元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第786回
「ガンとボケ」――そして命のバトンタッチ

この長寿難病社会では、
「ガンとボケ」のダブルパンチすら体験せざるを得ない、
長い人生を過ごしていかなければならない――
それが現実だという話の続きです。

僕の母は、
朝四時、厳冬の介護病院で最期を迎えました。
しかし、それは、じつに自然にゆったりとしたものでした。
病院の方針が、
無謀な延命装置を使わないということがありましたが、
主治医の先生が、とくに最後の1ヶ月は、
昼夜をかまわず、看病してくれたのには頭が下がりました。

「危篤です」という病院からの電話で、
深夜、埼玉にある病院まで車を飛ばして、
駆けつけると、主治医は息子の僕に最後を看取らせようと
一所懸命、看護していたのだと思います。
ベッドに駆けつけて5分後に、
握っている母の手が、見る見る冷たくなっていきました。

母はおそらく「さようなら」といったのかも知れません。
いや「あんたもしっかり人生を渡りなさいよ」と
いったのかも知れません。
「あっ」と小さく叫んで、顔から血の気が引いていって、
肌がロウのように固まっていきました。
「ご臨終です。
とても明るい方でしたね。
機嫌のよいときは、お好きな賛美歌を歌ってくれました」と
主治医が深々と頭を下げました。

そして、1メートル四方もあるような、
母の大きなレントゲン写真を見せてくれました。
胴全体の臓器を撮った写真です。
納得がいきました。
人間の寿命が尽きるということが
よく分かる写真でした。
ボケと寝たきりで闘ってきた母の体は、
肺に水が溜まり、大腸には老廃物が
爆弾を破裂させるように溜まって写っておりました。
さらに、驚いたことに、排泄の要である、
腎臓には「大きなガン腫瘍」が出来ているではないですか?
母は、88歳にして寿命を迎え、
老化の局地に達したことになります。
ああ、人間は、
「ボケ」と「ガン」と付き合いながら、
老化と寿命を全うするのだなあということが分かりました。

母を失って1年を迎えますが、
「長生きするということは、
ボケとガンと付き合いながら、
生きていくことなのですよ」と、
この母が教えてくれたことになります。
もう少し健康学的にいえば、
「ガン」も「ボケ」も老化病の一種、
生活習慣病の局地なのだから、
上手な付き合い方を探していくことが人生なのだよ、
長寿社会の「知恵」なのですよ、と
教えてくれたことになります。

ガンで死ぬ方がマシだ!
ボケで死ぬのはいやだ!
ガン即=死の「不治の病」だ、
ボケはみっともない「死に方」だ――などといった、
生半可な人生観では長寿社会は乗り切れないのですね。
ガンとボケが一緒に襲ってくるような
これからの長寿社会をどう生きるべきか?
そして、みんなで、どう支えあって、
「命のバトンタッチ」を果たしていくべきか?
ここが本当の人生訓のキモだと思います。
次回は、そうしたことも書いて見たいと思います。


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2004年10月21日(木)

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