元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第950回
「世の鏡」にもならん連中

10代、20代の美人スポーツ選手や、
思いつきのような芸で人気になった
“有名タレント”の尻を追いかけまわす・・・、
低劣な“芸能もどき評論家”に品定めをさせる・・・、
「お笑いと格闘技」報道でお茶を濁す・・・。
最近の「テレビのバカの鏡」現象は困ったもんだ
という話をしてきましたが
かように、テレビが「衆愚化メディア」に堕落していくのでは、
新勢力のインターネット乗っ取り屋が
入れ替わり立ち代り現れるのもやむをえないことでしょうね。

とうとう、この僕の「暴論」の続きは、
「どいつもこいつも ガタガタいうんじゃんねえ」
というタイトルで、
いま発売中の月刊誌「ランティエ」5月号
P48〜に書きましたので、
興味のある人は、
気晴らしに読んでみてください。

最近、つらつら思うに、
メディアこそ、人材が資本です。
硬直した政府や政党、そして経済界に先駆けて、
新時代の予兆をもたらす使命を持っているわけですから、
勉強不足の低劣なタレント屋の排除を
いますこし、本格的に考えるべきでしょう。
プロデューサーやディレクターの言いなりになる
「コメンテーター」とやらを安直に集めたところに、
今日の「テレビ報道の破綻」が始まったといっていいでしょう。

ライブドア事件にホワイトナイト(白馬の騎士)?として
登場した大物“乗っ取りの達人”=
ソフトバンク・インベストメントの社長が、
「M&Aなどやったことも無い連中が、
 よくテレビでペラペラしゃべるものだ」と呆れていましたが、
まさに“芸能もどきのタレント評論家”が
「勝った、負けた」と品定めする方がおかしい。

テレビ局よ、ただ顔がきれい、声がでかい、調子がよい・・・
こんな「世の鏡」にもならない連中を集めてきて、
安易に低劣番組を作ることは、もう、おやめなさい。
番組に登場させるタレント屋の選別こそ、
テレビ・メディアの仕事ではないか。
そのときこそ、初めて、テレビ局のボスが
胸を張って「わが社の公共性は・・・」と語れるのです。

また、放送局の従業員も、
アタマは優秀なのでしょうから、
自分たちの“特権死守”だけを考えるのではなく、
「世のため人のため」をもう少し思い出して
“大人”になりましょう。
もっと、自分の家庭、自分の会社、
自分の地域、そして、日本全体のことを
等身大で考えて明日を作る・・・、
そうした「面白くてためになる」
コンテンツ・ビジネスモデルを開発してください。

「お金で何でも片付けてはいけない」という指摘は、
一人、“ほりえもん”こと、
堀江青年のみに向けられた言葉ではなかったのですね。
フジテレビ、いや全テレビ局で
飯を食っている人たちへの警句だと思います。

繰り返しますが、
「テレビはもういらない」と言われる前に、
マクルーハン教授がいうところの
「メディアはメッセージ」、
「メディアはマッサージ」という、
じつに柔軟性に富んだ名言に立ち返りましょう。
さすれば、テレビとインターネットの共存事業の答えも
現場から創出されるはずだと、僕は勝手に考えています。


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2005年4月3日(日)

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