元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1192回
僕にも介護保険証が届きました

11月23日(水)に開かれた、
「介護をもっと、ホリスティックに」
講演会の続きです

          *

「老齢者の介護」というテーマですが、
私自身も今年、65歳、というわけで、
介護保険証が区役所から参りました。
面食らいました。
この長寿時代は「元気で長生きは芸のうち」と、
せつに願っているわけですが、
こうした保険証を貰うのはいけませんね。

俺はまだ若いぞと思っているのに、
なにか、国から「おまえは老人だ」と
烙印を押されたというか、
「人間動物園の老人厩舎に囲い込まれる」ような気がして
かえって精神的に老いこみますね。

なぜ、こんな感じがするのか?
もちろん、介護制度はいいことですが、
どうも、その発想といいますか、
モノサシ(基準)が、
一人一人の「個人のいのち」というより、
国の財政や介護事業の都合による、
一杷ひとからげ的な
合理主義(もしくは役人主義)が先行している、
少子高齢社会への展望が、
はじめに「国の財政危機」ありき、
次に「介護事業の運営危機」ありきの
プラグマティズムに走りすぎている――
これがどうもおかしい!そう感じているからです。

機械的に万民平等になればよろしい、
原因や経過の「つながり」などはガタガタいうな――、
こうした傾向が目立ちすぎないでしょうか?
どうも治療や介護の制度に
「いのちのつながり」が見えません。

僕のささやかな体験ですが、
人のいのちが(医療や介護)が、
機械の不良品修理や廃品処理のように扱われたら
これほど辛いことはありません。

よく医療ミスで
「病気で死ぬのではなく、治療や薬で死ぬ」ほど、
悔やまれることはないといわれますが、
さらに、“制度やシステム”の犠牲になって死んだとしたら、
元も子もありません。
こうした「医療合理主義」の横行する時代だからこそ、
長寿時代の個人、一人一人が、
もっと賢く「ホリスティックな 医療発想」で
対応していかなければならないというのが、
本日の話の本筋です。

ところで、「老齢者の介護」とは、
ただ、病院やシステムの問題だけではなく、
多くの家族が抱えている「老化との折り合い方」の
人生や処世の大きな問題だと、私は思っています。

たとえば、いまはメディアでは盛んに、
美容のためのアンチ・エージング(抗加齢、若返り)が
騒がれていますが、
むしろ「共加齢」といいますか、
コ・エージングといいますか? 
「元気に長生き」=「老化と上手く折り合う」
ための知恵としての「加齢防止」が、
ますます大切になってきたと思います。

ガンやボケ(認知症)のような老化病とは、
切り傷や感染病とは違いますから、
切る、叩く、焼くといった、
機械の修理に似た西洋医学の治療法だけでは、
なかなか治りません。
人間のいのちの仕組み全体のつながりを診ていく、
統合的な医学発想=つまり、
「ホリスティック医学」の考え方が
大切になって参っているわけです。


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2005年12月1日(木)

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