元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1407回
白血病再発に見舞われて

前回、ガン再発転移といわれようと
あきらめずに、いろいろと手を施せば、
延命の可能性は開けてくるとして、
小澤恵子さんや黒川宣之さんの闘病記を紹介しました。
おふたりは、その闘病の詳細を
季刊「いのちの手帖」創刊号に書いておられますが、
もう一人、読者から注目されているのが、
いま白血病と闘っている花井陽光さんの同時進行・闘病手記です。

「運命を変えた白血病
化学療法と自然療法の狭間で」という手記を
読まれた方もいるでしょうが、半年前に再発。
その奮闘と克服の模様についても、
「いのちの手帖」第2号(9月1日発売)に公開しています。

花井さんといえば、ご存知の方もおられるでしょうが、
日本CI協会という玄米菜食法の総本山でもある団体の
専務理事をやっていた方です。
それが、2年前の秋、極度の疲労感に襲われ、
急性骨髄性白血病と診断され、
抗ガン剤の副作用の苦しみを何度も何度も乗り越えて、
その病棟の中から、
「いのちの手帖」に手記を送ってくれていたのです。

まだ、花井さんの手記第一回を読んでいない人のために、
さわりを紹介しておきます。

             *

●闘病記 ガンはあきらめない
運命を変えた白血病――
化学療法と自然療法の狭間で  花井陽光

マクロビオティックに触れたのは1971年。
全共闘運動で大学を中退した頃でした。【略】
1985年オーサワジャパンに入社後、
1991年にマクロビオティックの総本山
日本CI協会の専務理事として赴任しました。
「月刊マクロビオティック」の編集長として
玄米食の普及に努め、
難病や生活習慣病を食事で治した体験談や
医師の臨床例なども掲載しました。

その後、仕事の質の変化で、興味を失いかけた頃、
体調の異変が始まったのです。
前兆は、2004年の夏から極度の疲労感と不眠が始まり、
味覚障害が続きました。
35年間、続けた日本酒が飲めなくなりました。
疑問もありましたが、
食養生と漢方薬や民間療法で回復すると信じていました。

しかし、症状は改善せず、9月初旬、新宿の集中豪雨で
ずぶぬれになったのを契機に発熱が始まりました。
貧血により、地下鉄神楽坂の階段が一気に上れなくなった時も、
体力が落ちたとしか考えていませんでした。(略)

市民病院のK医師は島村先生の資料を一目見るなり、
診断通り、急性骨髄性白血病であること、
治療が長期になるので希望の病院を探すとの指示が出ました。
瞬間、思考が停止。

しかし、事実は事実、放っておけば3ヶ月の寿命です。
付き添いのKにすがり、家や会社にもよれず、
そのままの格好で実家のある愛知県に入院を決め、
その日のうちに無菌室に入りました。
治療は翌日から始まりました。
元来、薬は毒だという固定観念を持っていて
島村医師に会うまでは、薬は服用せず、
症状は食養生や民間療法などで処理していました。


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2006年7月4日(火)

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