元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1408回
続・白血病再発に見舞われて

2年前に白血病を発見された花井陽光さんが、
再発にも負けずに、
いま懸命に闘っている話の続きです。
季刊「いのちの手帖」に発表した、
「運命を変えた白血病
化学療法と自然療法の狭間で」という手記の抜粋紹介の続きです。

         *

しかし、事態は急速に進みました。
もはや選択の余地はなく、固定観念を捨て、
主治医のK医師の指示に従うことにしました。
白血病というのは大きくM0からM7まで8種類の型があり、
治癒率も型により違います。

診断の結果、M4という良くも悪くもない普通の型でした。
治療はこの型に併せ、がん化した白血球をたたくために
大量の抗がん剤を1週間続けることから始まりました。
生まれて初めての大量の化学物質が全身に流れこみます。
白血球のみならず、血小板や血色素数値も次第に減少していきます。

41780あった白血球は6日後には300まで下がりました。
まるで、除草剤で草を枯らすように、血液に作用します。
生まれて初めての輸血も体験しました。
こうして抗がん剤でがん化した白血球を減少させ
完全寛解に至らしめるのを化学療法といいます。
約1週間の抗がん剤治療を1クールといい、
この繰り返しを5クール行います。
終了まで約6ヶ月かかります。
免疫力が極端に低下するため、
感染による発熱や口内炎、脱毛など様々な副作用が現れます。(略)
しかし、生命に別状がなく、
慢性化した病気や病後については食養生も大切です。
ですが、緊急性のあるものは
積極的に現代医学の恩恵にあずかるべきではないでしょうか。

でも、それ以上に長期のベッド生活は
人生の総括に必要な時間でした。
発病は起きるべくして起きたのです。
2004年10月8日に入院し翌年5月12日に退院できました。
7ヶ月間の入院生活でした。
こうして病院からは白血病原因が不明なのと同様、
投薬など退院後の指示は一切なく、
手探りの中で養生の実践が始まったのです。(以下次号)

          *

季刊「いのちの手帖」創刊号に送られてきた手記はここまでです。
300にまで落ちた白血球も正常値近くまで戻したため、
7ヶ月にわたる長い長い闘病から開放されて、
無事退院されたのですが、
また半年前の十一月、再発。
「ガンはあきらめない」という、
花井さんの強い信念に基づいた闘病生活が再開されているのです。

僕もカミサンと、ご実家の近くの病院まで
見舞いにまいりましたが、
予想以上に顔つやがよく、
考え方が花井さんらしく前向きなのには安心しました。
メールも月に、2,3回は送られてきます。
まさに「ガンはあきらめてはいけない」
「希望こそ良薬」という信念を
花井さんから教わっていることになります。

以降、白血病再発から半年、更なる抗ガン剤と、
それに続く骨髄移植への挑戦・・・
筆舌に尽くしがたい苦しみと喜びの錯綜する闘病と
克服の模様については、すでに、
次号「いのちの手帖」第2号(9月1日発売)に
原稿を送っていただいております。
ぜひ、花井さんに声援を送ってあげていただきたいと思います。


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2006年7月5日(水)

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