元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1422回
ガンはなぜ哲学か?

七月、暑さが増して、
セミの声が聞こえてくると思い出すのが、
僕と同じ食道ガンになり、
いろいろ養生を凝らしたにも関わらず、
3年前に旅立ってしまった、作家の倉本四郎さんのことです。

亡くなる1ヶ月前に病院に見舞いにいったとき、
ベッドの上に胡坐をかいて、
ひぐらしや なお日をのこしつつ 店仕舞――
「これが俺の辞世の句だよ」と、
あの人懐こい顔で、目を細めて笑っていた姿を思い出します。
いまも、僕の心の世界では、倉本さんは、
タバコのピー缶を手元に抱えて、
デザートのコーヒーを上手そうに飲みながら、
「フフフ、やはり、タバコもコーヒーも飲みすぎは
ガンによくないのよね…」と語ってくれています。

「ガンは、身体のみならず、
人間の生きがいというか、
精神性まで蝕むミステリアスな病気だなあ」と
お互いにメール交換していた仲間です。
よく「ガンって、医学や治療の問題以上に、
哲学的な問題を投げかける、不思議なヤツだなあ」と
笑ったり、怒ったりしたものでした。

患者のみなさんならわかっている方も多いでしょうが、
ガンとは医学の問題と思い込みがちですが、
だんだんと闘病生活に慣れてくると、
「医学ではなく哲学」の範疇の問題、
つまり、己は余生をどう生きるべきか?
人生観の問題だと気づくようになるはずです。

もちろん、ガン宣告即=死ではありませんが、
これを契機に、いやおうなしに
「死」との対峙を、誰しもが突きつけられます。
患者自身、そして家族が協力して、
「第2の人生」をどう生き延びていくか?
コレを考える契機となる、
「人生の警告カード」のような意味合いを持つ病気なのです。

僕の主治医の帯津医師は
以下のようなことを著書で述べています。
「死の恐怖は生きているうちに
成すべきことを成していないから起こる」
「人が恐れているのは死ではなく、
生が不完結に終わることだ」
もし、生死の際に悩み、宗教的煩悶に直面したら、
生き延びる勇気を奮い立たせることができるか?
また、ここが運命の分かれ道となるわけです。

感染症やデキモノの病気と違って、
抗生物質や手術で簡単に治る病ではありません。
この地球上にいまだガンの一発特効薬などありません。
「ガンは突発性の老化である」という医師がおりますが、
まさに、いのち丸ごとを蝕む、
「哲学的病気」といってもよいものですから、
ただ、大病院に頼ったり、
有名な医師に治療をお願いしても、
それだけで乗り越えることが出来るほど
やわなものではないのです。
「完治できます」などという外科医がおりますが、
ガンは「切れば完治する」
「この薬で完治する」といったレベルの病気ではありません。
もし、不幸にしてガンにかかってしまったら、
いかにガンと共生して長生きするか?
一人一人が処世学を再設計する、
つまり哲学することが大切なのです。
これが「ガンは医学であると共に
哲学の問題だ」といわれる所以なのです。


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2006年7月19日(水)

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