元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1492回
「盲目の画家」にいのちを学ぶ

前回、知的・視覚のふたつの障害を持つ
天才少年ミュージシャン・掛屋剛志くん(14歳)の本、
「君に逢えて本当によかった〜さあ、剛志、拍手を光に生きていこう」
(掛屋 孝志/掛屋 しのぶ共著 日本文芸社)について紹介しました。

僕たちは、いろいろな難病を抱えているとはいえ、
この小さな天才少年・掛屋剛志くんの歌と音楽、
そしてその屈託のない生き方から、
「いのちの輝き」の素晴らしさを学ぶことが出来るはずです。

私事になりますが、僕の甥の一人は、生れ落ちた時からの聴覚障害で、
いまは障害者雇用法の援護もあって、
元気にある金融機関に勤めていますが、
同じ障害の奥さんと、明るく、むつまじく暮らしております。
まえに「破滅の淵から人間は希望も創造力もつかみ出すものだ」
という話を書いたことがありますが、
患者はけっして壊れた機械ではありません。
人間のいのちは、超然たる精神エネルギーを感受するがゆえに、
未来を切り開くことが出来ると、
この少年や青年たちが教えてくれているのではないでしょうか?

さて、いま発売中の「いのちの手帖」第2号にも、
晩年になって視覚障害に見舞われ、それを乗り越えて絵を描き続けた
衝撃的な画家の特別ドキュメントが掲載されています。
作家・山口泉さんによる「いのちの美術館〜盲目の画家の血判」です。
以下、そのさわりを抜粋します。

            *

長谷川沼田居(はせがわ・しょうでんきょ)という画家を御存知ですか。
本名は長谷川勇、「沼田居」の号は、
住まいの裏手が湿地だったことに由来するといいます。
1905年11月11日に生まれ、
1983年8月17日逝去、
若いとき短期間、東京に日本画の修業に出た以外は
生涯の大半を生地の栃木県足利市で過ごしたという
彼の画歴は、現象的に言うなら、大変つつましいものでした。
画家としては生涯にただ一度、
敗戦直後に地元の信用組合を
会場として小さな個展を開いているだけです。

しかし、本領ともいうべき鉛筆素描をはじめ、
作品総数四千点と言われる生涯を通じての旺盛な試みの数かずは、
鋭敏な時代感覚や斬新な前衛性を湛え、
彼が単なる「日本画家」の枠に留まらない
真正の藝術家であったことを示しています。
端正かつ正確無比のデッサン力は、
若いころから圧倒的で、それはものを描き表わす
「描写力」という以前に、
ここまで対象が見えているという
「眼力」そのものに秘密があるのではないかという気がするほどです。

とはいえ、これだけではなお長谷川沼田居の存在は、
おそらく私の知るところとはならなかったかもしれません。
画家・長谷川沼田居を語る上でどうしても触れなければならない、
彼の伝記的な事実を外側から特徴づける最大の事件は、
その眼疾による視覚の喪失でしょう。
悪化する症状(緑内障だとされています)にともなう
激烈な痛みのため、65年8月には右眼を摘出、
残った左眼も73年6月に摘出され、画家は完全な盲目となります。
しかも、長谷川沼田居は、絵を描くことをやめません。
両眼を失いながらも、なお画家であり続ける道を、
沼田居・長谷川勇は選択したのです。

          *

この盲目の画家に密着した作家・山口泉さん※1
「生きる価値」の尊さについて綴る、
その鋭い洞察メッセージが、まだまだ続くわけですが、
ぜひ、みなさんも読んでいただき、
「生命の躍動」と「いのちの尊厳」について
感受していただきたいと思います。


※1 http://www.jca.apc.org/~izm/


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2006年9月27日(水)

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