元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1507回
続・生命の躍動(エラン・ビタール)って何?

「患者は壊れた機械ではない」
「希望こそ良薬、あきらめは毒薬」
「小さなトキメキを持つように心する」
「自然と共生する生命の躍動
(エラン・ビタール)を大事にすることが、
患者に生きるエネルギーをもたらす」――、
これは、お呪いや占い、オカルトや神秘主義の話ではない――、
このスローヘルスな基本理論については、
「いのちの手帖」第2号の
「藤野邦夫のいのちの医哲学用語事典」
というコラムを読むとよくわかる――という話の続きです。
以下、藤野さんの解説のさわりを紹介しましょう。
理論は専門的でとても難しいものですが、
藤野さんが噛み砕いて、一般の患者さんや家族でも理解できる
平易な文章で解説しています。

            *

生命現象には、感情や精神や意志といった
精神現象が大きく作用します。
つまり生命というのは、身体組織のはたらきと精神現象が
織りなす壮大で複雑ないとなみです。

ところが西洋には古くから、
からだと心をふたつに分けて考える伝統がありました。
一七世紀になると、
この心身二元論という考え方がとくに強まりました。
心は人間にしかないものであり、
からだや動物は機械にすぎないというわけです。
たしかに、そのおかげで科学は宗教の干渉を受けずに、
大きく発展することができました。
問題はいまも多くの学問領域が、
そのなごりをとどめていることです。
哲学も、心理学も、生物学も、脳科学も例外ではありません。

近代医学もまた、その流れをずっと引きづってきました。
からだと心の相互作用は複雑すぎるので、
科学が扱えないのは、無理もないかもしれません。
しかし、人間の生命を直接的な対象とする医学が、
からだのはたらきと精神現象を分けて考えていいはずがありません。
全体《ホリスティック》医療は
まさに西洋の長い伝統にたいする反省のうえに立つ、
じつに正当で人間的な方向です。
この両方を相関的に扱う理論的な根拠として、
帯津良一先生が引用される
アンリ・ベルクソンの考え方が役だちます。

二〇世紀前半に大きな影響力をもった
フランスの思想家ベルクソンは、『創造的進化』という本で
「エラン・ビタールElan Vita」
(生命の飛躍)という表現を使いました。
これは生命体の独自性を説明しようとした表現でした。
生命体は自然界で、たえず創造活動を現在進行形でつづけています。
細胞はたえず再生されて生物は成長しますし、
子孫をつくって進化します。
ベルクソンはこのような現象を説明するのに、
生命の原動力といっていいものが世界にあり、
それがすべての生命体に宿っているからだと考えました。
つまり、エラン・ビタールというのは
生命体の創造と進化の原動力のことだったのです。

ベルクソンは生命体が物質の
機械的な結びつきで進化するのでなく、
物質と単純に分けられない内的衝動によって、
飛躍的に進化すると考えました。生命には本来の飛躍力があり、
生命体はエネルギーを蓄積して柔軟・自在に放出しながら、
際限もない仕事をしているように見える。
それこそエラン・ビタールが物質をつらぬいて、
いっきに確保しようとすることがらである、というわけです。

           *

「希望のトキメキ=生命の躍動」と「いのちの進化」、
いや「病気の治癒」との微妙な関係が
わかったでしょうか? 
興味のある人は「いのちの手帖」第2号でどうぞ


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2006年10月12日(木)

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