元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1518回
土屋医師との「魂」の異次元交信?

10月4日に開かれた秋のスローヘルス研究会では、
49歳という若さで惜しくも亡くなられた
土屋繁裕医師を偲ぶ1周忌のセレモニーが行われ、
故郷の福島郡山から、奥さんの土屋広見さんも出席されて、
先生の遺志を受け継いで、キャンサーフリートピアの
ガン相談事業を広めていくという決意が、新たに披瀝された――、
さらに、10月9日には、故郷・福島郡山でも、近親者や
友人のみなさんが集まって一周忌がとり行われた――、
その話の続きです。

2、3日して、当日の記念写真を送ると、
奥さんの土屋広見さんから、
近親やご友人が、こもごも土屋先生の偉業を思い、
冥福を祈った模様が伝えられてきました。
「無事に土屋の一周忌を済ませることができました。
すぐに、連絡をと思いましたが、不覚にも当日の夜から
風邪症状がでまして、自由が利きませんでした。
引き物として使わせていただいた「いのちの手帖」は、
席につくなり、皆様に読んで頂きました。
私の今の気持ちを理解していただいたと同時に
スローヘルス研究会の理解と、
三好先生の活動の一面も解って貰えたと思います」
(注・「いのちの手帖」第2号には、
土屋広見さんの回想エッセイと、
キャンサーフリートピアの代表医師・三好立医師の
講演集が掲載されている)

また、広見さんのメールには、悲しみを乗り越えて、
患者本位治療の偉業を受けついで行こうとする、、
決意の程が切々と綴られておりました。
「10月4日の会の帰り際、ある女性が、
知り合いが『気』を使い入院中の土屋先生に
『目を覚ますよう』伝えたら、
土屋が『僕はもう目が覚めても、自由な体に戻れない』
『僕は今までに言いたいこと、
やりたいことをしてきたから目を覚ます気はない』
と、返してきたというのです。
私は、土屋はよく僕は・・僕は・・と言っていましたから、
彼女のこの言葉を信じました。
志、半ばだと思っているのは周りだけで、土屋は自分なりの人生
を真っ当していたのかもしれません。
たとえ彼女の言葉が私を慰めるだけの思いだけだとしても・・・
不思議と心穏やかになったことを感じたのは本当です」

なるほど、35日間の闘病の中で、
土屋医師は無言の意思表示をしていたのかも知れません。
それゆえに妻の広見さんの決意を固くしたのでしょう。
もちろん、先生への想いは、残された人たち、
それぞれに違うでしょうが、
土屋医師が、とくにこの5年間、身を挺して患者に語り、
テレビや新聞雑誌で語り、
また著書で書き綴った「患者本位治療」への提言は、
スピリチャルな面で
強烈なインパクトを多くの人たちに残したと思います。

先生を失って半年後、
僕にしても、その偉業を受け継いで広めていこうと、
季刊誌「いのちの手帖」の創刊に踏み切った経緯があります。
不思議なことですが、テーマや切り口の編集会議をやると、
決まって、先生との“討論”が、僕の脳内で激しく始まるのです。
ほんとうに惜しい盟友を失いました。
僕は、こんなメールを返信しました。

「小生の書斎には、
いつも先生の写真が笑顔で鎮座しておられまして、
『いのちの手帖』の編集企画も、困った時は、
先生の遺影と相談しながら作っております。
この小さな雑誌の中でも、
土屋先生は、相変わらず「饒舌」に(^0^)、
適切なアドバイスを送ってくださいますから
先生はイキイキと、この雑誌の中で活躍しているわけです。
スピリチャルな世界では、永遠に繋がっているのだと思います」
もちろん、別に、先生が夢枕に現れたとか、声を聞いたとか、
先生の霊に出会ってトランスしたとか・・・
おどろおどろしい異次元宗教体験に溺れているわけではありません。
しかし、いま内外で注目されている精神世界の研究――、
心理学者ユングの無意識必然論や、異次元上昇といった
アセンション説ではありませんが、
以前より「魂の異次元交信」が、
しばしば強くなってきたのは不思議なことです。
土屋医師、死しても、そのスピリチャルなエネルギーが、
多くの人にパワーをもたらすだろうと、僕は感じているわけです。


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2006年10月23日(月)

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