元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1738回
ガンが教えてくれたこと(3)

錯綜する「運と縁」の網の目をくぐって、
「ガンとの上手な付き合い方」を掴み取ろう――、
「ガンから教えられることはたくさんある」――、
「むしろ、ガンになったことを感謝したい」――、
僕たちの会員雑誌である「いのちの手帖」に寄せられた、
患者さんたちからのホリスティック(全人的)で、
スローヘルスな(温かくて和やかな)闘病記の紹介の続きです。

もちろん、ガンは油断大敵です。
ちょっと、不養生を重ねたり、風邪を引いて体を冷やしたり、
仕事のことでストレスを加重させたりすると、
たちまちのうちに頭をもたげて、
再発と転移の恐怖に患者を叩きのめします。

「いのちの手帖」には、残念にも天国に旅立たれてしまった
患者さんの家族のみなさんからも、
スローヘルスな(温かくて和やかな)
人生観のエッセイが寄せられ、
次に続く患者さんや家族のみなさんにも、
いのちのバトンタッチ・メッセージが綴られています。

●9年前に食道ガンで残念にもお母さんを失った佐々木舞さんは、
いまスイス在住ですが、
悲しみを乗り超えてエッセイを送ってくれました。
「母は天に還りましたが、
その後、まもなく天から新しい魂(娘)が
私のもとに降りてきました。
そこに「いのちの繋がり」を感じます。
今、私は娘とその後に生まれた息子の世話に
全力を尽くしています。
母は現実に私の子育てを助けることができませんが、
天から力強い援助を送ってくれるのを感じています。
そしていつの日か今度は役割が変わり私が天に還るでしょう。
でも、私の命は繋がっていく。
その繋がりの中にいることをとても幸せに思っています」
(「いのちの手帖」第2号より)

●福井の天女山・考顕寺住職の今成友見さんも
以下のようなエッセイを寄せてくれました。
「この十年、私にも色んなことがありました。(略)
でも、たった一人の肉親であり親友であり
同志でもある妹が死んでしまったら生きていけない!
と思っていましたのに、
こんなに元気で幸せに生活しているのですから不思議です。(略)
いよいよひとりぽっちになってしまったとき、
想像していたような自暴自棄とは逆の気持ちが芽生え、
孤独や絶望や不安がすっからかんと無くなってしまったのは、
こうした年月のすべてが、「すべてが自分にならねばならぬ!」
という頑張りの世界を卒業させてくれる要素となって、
すべてが自分そのものの世界へ導いて来てくれたからだろうなと、
心から感謝している、昨今の私です」
(「いのちの手帖」第3号より)

●夫の原田廉平さんを失って3年目、原田清美さんは、
その遺志を受け継いで、
富山でスローヘルス研究会を続けておられます。
「夫は、最後まであきらめずに、
土屋(繁裕)先生と一緒に癌と闘ったのです。
そして、土屋先生に看取られ、
静かに150億年の旅路へと出発しました。
今になって思うのですが、わたしたち家族にとって、
転院してからの2週間は、夫の旅立ちへの思いを
受け入れる期間だったように思います。
土屋先生には、
家族の思いまで受け止めていただいたと感謝しています。
こうして、夫・廉平は、
古代米の浦部さんを招いたり玄米を実食したり、
健康について語り合う形で、
スローヘルス富山の会を遺してくれました。
また、癌闘病でつながった
たくさんの人たちのぬくもりを遺してくれました。
これからも、あの柿の木、耕してくれた小さな畑地は、
「あきらめないで生き続ける」
ことを語り続けてくれるように思います」
(「いのちの手帖」第3号より)

ガンは、残された者にも
悲しさと寂しさとやりきれない苦痛を残します。
しかし、患者さんが、身・魂・心のエネルギーを高めるような
養生法、処世法を心していたならば、やがて、
その遺志が、介添えした家族のみなさんにも伝わり、
まさに死線も乗り越えた、
いのちのバトンタッチ・ネットワークが
できていくのだと思います。


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2007年5月31日(木)

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