元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1937回
「いのちの居場所」と「いのちの帰る場所」(3)

「ただ、明るく前向き」では、病気の克服も、
人生の転換もそうそう掴めるものではない――、
「無理に明るく前向きを装っても人生の養生はうまくいかない」、
そうではなく、「人間は哀しくて寂しいもの」
と思えば希望もむくむくと湧いてきて病気も治るものだ――、
では、不運、災難、病気を克服するパワーの源はどこにあるのか?
それは、自分の「いのちの居場所」をつかむこと、
さらに将来の「生死一体の境地」に目覚めて
「いのちの帰る場所」を掴めば、死の恐怖を乗り越えるばかりか、
さらに、この世を悔いなく全うする
躍動するパワーをつかむ事ができるのではないか――
という話の続きです。

「いのちの居場所」をしっかり持っておくことは分かったが、
「いのちの帰る場所」などというと、
何かお墓に入ったり、宗教まがいの抹香臭い話だなあ・・・と
嫌がる人がいるかもしれません。

しかし、別に、お寺に通って修行したり、教会に通って
礼拝を重ねるということを急に始めても
効果は少ないものでしょう。
いや、そうした形式的な儀式で、
僕たちの幸福が簡単に手に入ると思うほうが、
神様や仏様をないがしろにする考え方だと思います。

この長寿社会で、
未完成ながらも科学の進歩した時代であるからこそ、
死んでから天国に行く? 地獄に落ちる?・・・
といった絵空事の次元ではなく、
いまのあなたの身・魂・心のバランスを統合する
「いのちの居場所」の設計図を描きつつ、
自分らしい、自分に合った、自分を偽らない、
自らの「いのちの行く末」を掴んでおくべきでしょう。

あなたは「いのちの帰る場所」を掴んでいるでしょうか?
「死んでも自分はある」
「死を乗り越えてこそ生きるパワーは湧いてくる」
「メスや薬に頼るだけでなく、心の躍動を持とう」・・・
この問いかけが、僕の主治医であり、
人間本位の医学者である帯津良一先生が盛んに提唱している
ホリスティックな人生哲学の真意だと思います。

「いのちの帰る場所」が、母なる大地のパワーと考えるか、
自然万物に潜むサムシンググレートであると考えるか、
はたまた、キリストの唱える神であるか、
仏陀の唱える仏の世界であるか、それこそ、
帯津医師の説のように生命誕生の150億年の虚空と考えるか・・・
それは、あなたの納得できる世界でいいと思います。

僕は、小さい頃からクリスチャンの家庭に育ったので、
別段、小難しく考えることもなく、
キリストの教える神の世界に帰る・・・
「いのちの帰る場所」はこのあたりにあると思っています。
もちろん、宗教内の嫌な面もよく知っていますから、
まるで、神の国を見てきたような
「うそ」をいうタイプの人は大嫌いですが・・・。

それはともあれ、患者さんに限りませんが、
自分の「いのち居場所」のみならず、
「いのちの帰る場所」をしっかり自覚している人、
もしくは、努力、養生している人は、
わりと、病気の克服力も早いし、
気落ちからの回復力も早いように思います。

長寿難病社会という嫌な言葉から逃れられない時代だからこそ、
出世や健康のマニュアル書だけでなく、
「いのちの居場所」と「いのちの帰る場所」について書いた本を
読むことをお勧めします。別に、宗教書に限りません。
HIQのみなさんなら、邱永漢さんは、もちろん、
帯津良一さんという
「居場所」「帰る場所」をはっきり示してくれる、
賢明なる「人生の先達」と日々、接触しているわけですから、
じつに幸福だと・・・僕は考えているわけです。


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2007年12月16日(日)

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