元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1964回
構造改革の手本は「二宮金次郎」

年末に、僕の親友である作家の猪瀬直樹さんを、
ちょっと別件の用事もあって、
東京都庁の巨大ビルの6階にある副知事室を初めて訪問し、
「なぜ、作家が副知事になったのか?」
という疑問について聞いてみた――

官僚主義にすべて下駄を預けておいて、「日本は滅びるよ」と、
人生を斜めに構えて高見の見物を決め込む、
夏目漱石に代表される態度は、これからも「いかん!」と、
作家論を通じて、世の一般市民にもメッセージを送っている――、

猪瀬さんのこうしたアクティブ・メッセージは、
「週刊 読書人」2007年9月21日号の
第1面、そして第2面、第3面を飾ったインタビュー大特集――、
「東京都副都知事になった作家の抱負」に
詳しく語られているので、前回に続いて、
その続きを抜粋しましょう。

「官僚主権というのがあるんだけど、
基本的に官僚は役人です。
役人は日々の連続性についてはよいけれども、
飛躍したビジョンや直感で
新しい方向性を見つけることはないんですね。(略)
明日は何かというビジョンとか、
大きく方向をチェンジするとかいうのは
官僚じゃないんで、作家が出してくるんだと思う。

サルトルの『弁証法的理性批判』というのがありますが、
作家というのはあえて言えば
『弁証法的感性』なんですね。
感性の論理と展開みたいなものがある。
役人も日常的な連続性だけでやっていくと、日本は滅びてしまう。
無謬性の神話があり、ずっと積み重ねて行くと
とんでもない方向にずれて行っているということに対する
自己批判が役人の世界にはないですから、
外部からの眼、作家の直感というものがなければ滅びる」と、
猪瀬さんはインタビューで簡潔に答えています。

ちなみに「弁証法的理性批判」とか「無謬性の神話」とは、
いささか哲学的用語で分かりにくいのですが、
※「弁証法的理性批判」とは、
サルトル後期の哲学書で、
個人は社会に序列化されて自己を失いがちとなるから、
「個人の力と自由は、
ただ集団的な革命行為によってのみ保たれる」と強調した作品。
※「無謬性の神話」とは、
「自分に絶対、間違いはない」と思い込む性癖――
とでも解釈したらよいでしょう。

では、具体的に、作家的直感、つまり猪瀬さんのいう
「弁証法的感性」によるビジョンを
政治、つまり都政に活かす、方法とは何か?
続けて、そのインタビューの中で、
著書「二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか?―」
を上げて、
具体的施策の方向性を明らかにしています。

「二宮金次郎は江戸の文化・文政期ですよね。(略)
ちょうど1702年が『時は元禄15年』の
赤穂浪士の討ち入りですから、
高度成長は(江戸幕府開闢以来)百年で止まり、
それでも江戸社会は170年持つんですね」と解説して、
高度成長経済後の構造改革、
江戸の人口集中化による
過疎化する関東平野の地方の町の経済活性化を果たしたのが
農政家・思想家の二宮金次郎と位置づけているわけです。
二宮金次郎と言えば、いまだに校庭に銅像が建ち、
「努力、勤勉、親孝行」の手本から、
「忠君愛国」の鑑(かがみ)として
戦前は崇められたわけですが、
いまや「構造改革」の手本、
猪瀬流に言えば、
「官僚を打ち負かす直感の人」の先人というわけです。


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2008年1月12日(土)

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