元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2004回
正食の始祖・桜沢如一の「青春時代」(2)

「もしかしたら、若き日の桜沢如一さんと、
関根さんのお祖父さんは、地元・新宮の短歌仲間で
知り合いだったかも知りませんよ」という手紙が、
和歌山県新宮市の図書館から舞い込んできた――
という話の続きです。

手紙をくれたのは、新宮市立図書館司書の
山崎泰さんという人ですが
明治30年代、40年代、
山林材木業で栄えた紀伊半島の小さな町・新宮には、
欧米の進取思想に目覚めた若者がたくさん輩出していたようです。
当時、隆盛を極めた与謝野寛・晶子を中心とする
明星派歌人ネットワークの中に、
のちのマクロビオティックの始祖となった桜沢如一も、
のちに大正期の流行作家となった沖野岩三郎も共にいた、
・・・というのが、
新宮図書館の山崎さんの推理です。

というわけで、僕はさっそく、
マクロビオティックの総本山である日本CI協会に
歌人・桜沢如一の足跡をたどる資料が
残っているかもしれないと思って、
このコラムにもよく登場する、僕のガン友達であり、
前・日本CI協会専務理事であった、
花井陽光さんに、
仕事の話のついでにメールをして聞いてみたのです。
「花井さん、寒さが厳しいですが、
うまく養生している事と思います。
ちょっと、桜沢如一さんのことで伺いたいことがあります。
じつは、この4月に、小生の母方の祖父の
『沖野岩三郎伝』という評伝を出版する予定で、
これは、100年前の『幸徳秋水・大逆事件』に関係のある
ノンフィクションなのです。

祖父は和歌山出身の大正期の流行作家で、
大逆事件では新宮から6人が逮捕処刑されたのですが、
沖野は奇跡的に逮捕をまぬかれた生き残りで、
この事件の告発小説を大阪朝日新聞に発表して
文壇デビューした変わり者でした。
いろいろ取材しているうちに
桜沢さんが和歌山の新宮出身で、短歌活動を通じて、
沖野の短歌仲間「和貝(わかい)彦太郎」
(号・夕潮)らと親しい事がわかりました。

新宮の和貝彦太郎という歌人は与謝野寛・晶子夫妻の弟子で、
大逆事件の担当弁護士でやはり歌人の平出修や
新宮出身の作家・佐藤春夫や下村悦夫の盟友。
新宮で「浜ゆふ」という短歌雑誌を主宰。
また、大正期には、その新宮の歌人たちと
京都の桜沢さんが「砂丘」という
短歌雑誌を出版したというのです。

祖父の沖野岩三郎も、
与謝野寛、佐藤春夫、和貝彦太郎、平出修と親友ですから、
明治40年代になんらかのつながりがあるかもしれませんが、
その当時のことに触れた桜沢さんの著書か
事例などを知りませんか?」

そうしたら、びっくりする返事が返ってきました。
「関根さん、ありました。驚きました。
関根さんのお祖父さんの沖野岩三郎もさることながら、
明治26年生まれの桜沢如一が
新宮の社会主義者や進歩派文化人と親交があったとすれば、
当時はまだ18歳程度ですから、
相当早熟な少年だったことになります。
そんな馬鹿なと思いつつ、
でももしかしたらと調べたら、ありました。
これは、前に日本CI協会で復刻した著書「わが遺書」がありますが
その冒頭部分に短歌雑誌「砂丘」のこと
新宮の歌人の下村悦男・和貝彦太郎の名前も出てきます。
面白いですね。ご縁というものは
こんな風に知らないところでつながっているんですね。
不思議の世界です」

というわけで、こんどは
桜沢如一・著「わが遺書」(昭和13年刊)の復刻本がないか?
東京の日本CI協会に確かめてみたのです。


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2008年2月21日(木)

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