元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2010回
ガンになったら本気で考えること

ほんとうに、ガンのような難病は、
医師たちやマスコミが喧伝する「科学的治療」を
信頼しきっていて大丈夫なのか?
多くの患者や家族の皆さんがそう感じてきていると思います。

その答えというか「病気になったら
患者が本気で考えること」について
分かりやすく解説してくれているのが、
僕の主治医でホリスティック医学の権威である帯津良一博士の
近刊「大養生―スピリチュアルに生きる」です。

●病気について
 ・私たちは非科学的存在である 
 ・病になったとたんに、科学を強いられる不思議 
 ・医学は医療のテクニックに過ぎない 
 ・複雑系である生命のうち、
純系で扱える「部分」をみる西洋医学・・・
という章の抜粋紹介の続きです。

               *

私たちが生きていくこと自体が
非科学的なことで大部分が占められているという
事実を忘れてはならないでしょう。
科学が人間の生命をすべて解明したわけではないのです。

私たちの衣食住のうち、
消費財の開発や流通、電気がつくことは科学ですが、
私たち人間はこれだけで果たして
幸せに一生を過ごせるのでしょうか、
そうではないはずです。

私たちはいろいろなことを考え、想像し、
自己実現のために生きているはずです。
ここには科学が入りこむ余地はありません。
病にしても同じことです。
私たちが、病という人生のひとつのステージに入った途端に
科学的でなければいけない、
と思いこむのはなぜでしょうか。
これまで非科学的に生きてきたのに、
病というステージに立った途端に
科学的でなければならない理由はないでしょう。
科学的に病を解決しようとすると、
徐々に行き詰まってきます。

私は、医療は「場」の営みであり、
それは生きていくことそのものだと思っています。
医療者と患者さんの「場」、
患者さんと家族の「場」、
医療者と家族の「場」、
それらの「場」が絡み合い、
それぞれがエネルギーを高めることで、
結果的に病気がよくなるという
命のエネルギーの循環があるのです。

これは病気が回復するという意味ばかりでなく、
病のなかでの生きることの質が
引き上げられるということも含んでのことです。
病のときだけは、科学的でなければいけない、
というのはおかしなことです。

               *

続きは、もう一回、明日掲載します。


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2008年2月27日(水)

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