元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2069回
「大逆事件異聞」=ゴールデンウイークの熟読本

「幸徳秋水以下、12名を絞首刑に処す」――、
100年前の前代未聞の暗黒事件の真相を暴く本は
昭和20年以降、終戦とともに、
たくさん出るわけですが、
大正期・軍政弾圧下の時代に、
「大逆事件を告発し続けた、たった一人作家」=
沖野岩三郎の軌跡を追った
拙著近刊「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」の話の続きです。

1000人に近い社会主義者や自由主義者の取調べの結果、
26人が、いわば「天皇暗殺未遂の決死隊」の嫌疑で、
絞首刑、無期懲役、有期刑を受け、
その後も1000人にのぼる人が
要視察人=不穏危険人物として弾圧された時代が、
大正、昭和と続くわけです。

もちろん、大逆事件の処刑の衝撃に
もっとも敏感に反応したのは、
やはり、ペンで闘うことを
生業(なりわい)とする作家たちでしたが、
多くの進歩的な学者も文化人も識者といわれる人たちも、
あまりの病的で陰湿な国家の強権に慄(おのの)き、
一様に沈黙を決め込んだわけです。

じつは、沖野岩三郎は、事件から7年の苦悶の結果、
絞首刑とされた親友の医師・大石誠之助の一族を題材に、
大正7年、「宿命」と題すると長編小説を
大阪朝日新聞に発表して、
俄然、世間の注目を浴びるのですが、
それ以前に、もう一人、この暗黒裁判の真相を世に伝えるべく、
事件の身近にいた人物で、勇敢にも筆をとった作家がおりました。
それは、沖野に依頼されて被告人の弁護を頼まれた、
少壮気鋭の弁護士で、与謝野寛・晶子夫妻の「スバル」に所属する
平出修という歌人・作家でした。
事件後、3年の大正2年に「逆徒」という
告発小説を雑誌「太陽」に発表するもですが、
すぐに発禁となります。
平出は、おしくも翌大正3年に他界してしまい、
その後、官憲の発禁指令を巧妙にのがれるべく、
改作して朝日新聞に連載を開始し、
以後、ただ一人、事件とその周辺について、
書き続けた作家が沖野岩三郎ということになったわけです。

そのために沖野は地元では
「官憲のスパイだったのではないか」とまで
揶揄されたわけですが、
全作品の底辺に、その運命的な事件から学んだ
「宿命論」と、その呪縛から解放されるための
「自由論」もしくは「ユートピア論」を書き続けた、
まさに「魂の伝道作家」が沖野岩三郎だったわけです。

ただ、事件が国家の屋台骨を揺るがす思想問題を含み、
判決一週間で絞首刑に処するという、
裁判そのものがまさに暗黒裁判、
でっちあげ事件の様相を呈していましたから、
近代関連の歴史家、文学者が詳論しない、
タブーのジャンル、タブーの作家の部類に入れられて、
後世に詳しく伝えられなかったに過ぎないわけです。

では、どんな大正、昭和前期の言論の封殺下で、
沖野岩三郎は捕縄捕縛されることもなく書き続けたのか?
その謎のポイントを「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」から、数回にわたって抜粋紹介しますので、
興味のある方は読んでみてください。

ゴールデンウイークの休みに、
じっくり読める、“目からウロコ”の
秘史・人物評伝に仕上げたつもりです。


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2008年4月26日(土)

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