元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2068回
大逆事件を告発し続けた「たった一人の作家」

拙著「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」という、ちょっと渋い人物評伝が
いま発売中だ――という話の続きを、またちょっと書きます。
おかげで専門家や歴史好きの中年の方々ばかりか、
明治、大正といった時代を肌身では分かり難い
20代、30代の若い方々からも注目されているようで、
「うん、真面目な読者は多いものだなァ」と、
とても嬉しく思っております。

なぜ、僕が100年前の「前代未聞の絞首刑事件」
「空前の言論封殺事件」そして
「想像を絶する暗黒裁判」の真相を明かす
評伝ノンフィクションを書き下ろしてしまったか?
――といいますと。
もちろん、2年後に、
この事件が100年を迎えることもありますが、
取り上げた主人公の「沖野岩三郎」という牧師作家が、
奇跡的に、自らの逮捕・処刑はまぬがれたものの、
特別要視察人=不穏危険分子としての
厳しい官憲の弾圧下に苦しみます。
しかし、その苦闘にもめげず、
たった一人、生き残って事件の真相を書き続けたという
稀有な人物でしたから、僕は焦点を当ててみたかったわけです。
以降、沖野岩三郎は人生の後半生四十年をかけて、
あるときは新聞連載小説に、あるときは月刊誌の論文に、
また数々の小説集や随想集、そして歴史書や童話にまでも
工夫を凝らして、やがて訪れるであろう
「自由、平等、非戦」の時代を夢見つつ多作しまくった
ちょっと説教臭いが、多彩な作家だったわけです。

この人物の数奇な軌跡を追っていくと、
なぜ、ちょっと前の時代にこんな残虐事件がと起こり、
いまなお真相はタブー視されているのか?
そうした謎が解けるばかりではなく、
これまで語られなかった近代日本と日本人の
「精神性」や
「生命観」の特殊なカタチが浮き彫りにされるはずだ、
そう思って、今年始めに脱稿し、本を刊行したわけです。

沖野岩三郎という人は事件を契機に、和歌山県新宮の
キリスト教の教会牧師を辞めて、「魂の伝道作家」に転進して
生涯200冊近い本を世に送った人です。

「えーっ? 沖野岩三郎なんて知らないなァ、
たしか大正期に岩野泡鳴という作家や、
高野岩三郎という科学者がいたが・・・」
という中高年がいるかも知れません。
沖野自身、随想の中でデビューの頃のエピソードとして
「沖野岩三郎って、岩野泡鳴か、高野岩三郎の異名ではないかと
いわれ、地方へ講演にいくとよく間違えられた」と
笑い話を開陳していますから無理もありませんね。
いまでは70歳以上の世代で名前を聞いたことがあるァ・・・
せいぜい、そんな感じの作家でしょう。

大正期の文豪といえば、
永井荷風や芥川龍之介、谷崎潤一郎がおり、
また和歌山出身の後輩・佐藤春夫のように、
沖野は文壇主流の作家として
近代文学史上は評価されることはなかったわけですが、
徳富蘆花、有島武郎、賀川豊彦などとともに、
キリスト教の影響を強く受けた
大正期「生命主義文学」の旗手として、
ベストセラーを残した作家でもありました。
もちろん、昭和20年以降、終戦とともに、
この暗黒事件の真相を暴く本はたくさん出るわけですが、
軍政弾圧下の時代に、
「大逆事件を告発し続けた、たった一人の作家」だということを
まさに当時の読者は知っておりましたから、
本来、近代史の中の「魂の伝道作家」として、
評価されるべき人だったわけです。

拙著「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」の概要と執筆の意図は、
このコラムの第2062回〜第2064回に書きましたので、
関心のある人は目を通して、
さらに興味が湧いてきたら本を買って読んでみてください。


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2008年4月25日(金)

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