第48回
ブランドケーエイ学15: 大きくなったブランド。

ブランドとは、広義では商標であって、他の商品と区別するための目印である。会社名や商品名であったり、コンセプトネーミングだったりするが、どの商品にも、必ずなんらかのブランドはついている。狭義では、ブランド価値のあるブランド、選ばれるブランドこそがブランドである。

ブランドという言葉が一般的でないころは、一流メーカー、二流メーカーという言葉を使っていた。もう25年以上前になる。家電でいえば、一流メーカーとは松下、東芝、日立であって、シャープとかサンヨーとかは二流。ソニーは、たぶんよくて1.5流か、それ以下ではなかっただろうか。
自動車でいえばトヨタと日産が一流で、ホンダもマツダも二流だった。一流かどうかの基準は、企業の規模であり、大きければ大きいほどよかった。

ちょうど20年くらい前から、ブランドという言葉がつかわれるようになった。このころ、日本でブランドといえるメーカーはどこか、と友だちと議論したことがある。ぼくらはカタログマニアだった。19才のぼくらがブランドと認めたのは、ソニーとヤマハとホンダであり、他の「一流メーカー」ではない。
基準は、製品や広告のデザインに一貫性があるかどうか。製品カタログから、なんらかの思想性が感じられるかどうか。つまりブランドとはつねに、小さく狭い層に、強く訴えるものというイメージだった。
これに比べ、一流メーカーはみな、大衆向けに製品をつくっており、思想性が見えなかった。

当時の基準は、基本的にはいまもそのまま、ブランドの定義として通用しそうだ。20年後の今日、一流メーカーではなかったけれどブランドであった会社はこぞって、業界のリーダーになった(ヤマハだけは調子わるそうだが)。

大きければ大きいほどよいという価値観はとっくに過去のものだが、それでも規模を追わずにいられないのも、また真実のようだ。
規模を求める限り、商品が大衆向きになったり、いろいろな商品を出さねばならないから、どうしてもブランドの旗色には、鮮明さが失われる。
絶好調のソニーやホンダは、20年まえに築いたブランド資産を、いまが儲けどころとばかりに食いつぶしているのか、それとも、ますますブランド価値を高めているのか、どちらなのだろう?


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