第85回
組織ケーエイ学30:トザマの生きザマ。

どこの世界も供給過剰みたいだ。
これまで業界の構造について、次のようなイメージを持っていた。
同じくプロのなかにもレベルの差がある。景気が悪くなり市場が縮小すれば、能力の低い者から仕事にあぶれていく。
そんな時も、優秀であれば生き残っていける。苦しいときには、これまで「並」の人がやっていた仕事を、やらなければいけないのかもしれないが、それさえ我慢できれば、淘汰されることはないだろう。そういうイメージのもとで、なんとか会社のレベルを上げようとしてきた。(右図上)

ところが、いまころ気づいたのだが、仕事のレベルを上げていっても、淘汰の危機はいつも背中合わせにあって、なくならないのである。
仕事のしかたと会社のポジションを反省しているうちに、この考え方は間違っており、業界の構造は、むしろ次のように理解しなければならないと、気づいた。(右図下)

つまり、クライアントがあって、代理店があって、制作会社があるが、それぞれに歴史と経緯があって、仕事の枠組みというものはだいたいできあがっている。いくつもの人間関係があって、社内のグループがあり、なかよしの外注先がある。普通の仕事
は、なかよしグループでまわっている。
なかよしグループ内で対応できない、よくよく変わった仕事とか、困った時にだけ「外様」にお呼びがかかる。最初は外様としても、仕事を一生懸命やっていれば、いつかはなかよしグループにいれてもらえるかと思ってきたが、どうもそうではない。

デフレ経済になって市場が小さくなり、できるだけ内部ですませようという気持ちになる。まず、なかよしグループの結束は堅くなる。いまでは、なかよしグループのなかでさえ、誰を切るかという時代に入ってきている。
外様の仕事は、ますます難しくなり、かつ機会が減る。レベルとは関係なく、機会の少ない、距離の遠いものから倒れていくということになる。

そこで考えるべきは、外様となかよしグループとを区別するものはなにか?
どうしたらなかよしグループに入れてもらえるのかということである。
また、それができないのであれば、「それでも外様として生き残る」にはどのようにしたらよいのか、ということだ。


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