第47回
収入が全くゼロでも1年半は大丈夫

こうした様々な理由から、私は丸紅を辞め、
「中国駐在員事務所代行事業」で独立起業する事を心に決めました。
早速、私は丸紅北京支店に在籍したまま、
田さんという中国人の友人の助けを借りて、人を1人自腹で雇い、
このサービスの案内を日本の中小企業に向けて
メールで発信し始めました。

この田さんは、昔、中煤公司という
石炭輸出を主な業務とする国有企業に勤めていましたが、
1997年に中煤公司を辞め、貿易会社を設立しました。
私が彼に初めて会ったのは、
まだ私が丸紅の東京本社にいた1995年ですので、
6年来の友人、という事になります。

このメールの反応は予想以上に良く、
何件も問い合わせが来ました。
私はこの時点で、
このサービスに対する需要の大きさを確信しました。

数社の中国進出希望企業との交信は、
丸紅の業務時間外に行っていたのですが、
業務時間外での対応が徐々にきつくなり、
又、お客様はやはり私自身が本腰を入れて取り組む事を
望んでおられましたので、
会社を辞めて、この事業に専念しない限り、
出来るものも出来ない、と判断し、
出来るだけ早い時期に会社を辞める事にしました。

会社を辞めるに当たっては、当然の如く収入がゼロになる為、
手持ちの現金を計算し、収入ゼロでどの程度まで
会社の運転資金及び生活資金を賄えるかを綿密に計算しました。
私は性格的に借金は大嫌いですし、
日本から取り寄せている愛読書の「日経ビジネス」や
「日経ベンチャー」で良く見ていた倒産事例では、
だいたい取引銀行に融資を打ち切られたのがきっかけで
倒産していますので、
そんな他人に会社の命脈を握られている状態はいやだ、と考え、
手持ちの現金だけで会社をやっていこうと考えておりました。

家賃ただ、光熱費ただ、学校・幼稚園ただ、交通費ただ、
尚且つ物価安い、の北京駐在員を5年半もしていたお陰で、
ある程度の現金はありました。
社内持株会の平均株価が余りに高かったので、
ナンピン買いを続けて、
気が付いたら40,000株も買っていた丸紅株は、
大幅に原価割れしていましたが、
それでも試算では、収入が全くゼロでも1年半は持ちこたえられる、
という結果が出ました。


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