第121回
居民委員会の役割

北京で「住民運動」や「抗議集会」が見られる様になった、
という事実は、昔の中国をご存知の方から見れば、
驚き以外の何者でもないと思います。

私が初めて中国に来たのは1991年、
天安門事件の余韻もまださめやらぬ時期でした。
そんな時期に「住民運動」や「抗議集会」をやろうものなら、
すぐに密告されて、しょっぴかれて、
拷問されそうな雰囲気でした。

当時まだ青かった私は、
中国の普通のサラリーマンが天安門事件を
どう捉えているのかどうしても知りたくて、
中国に出張に来る度に、石炭会社やコークス会社の人達に、
天安門事件に就いて意見を求めていたのですが、
毎回、「私たちには関係無い」とか「興味無い」とか
はぐらかされていました。
今から考えれば、彼らは不用意な発言をして、
会社の共産党幹部などに知れれば、
自分の生活や人生を危うくする事になりますので、
何か思う所があったとしても、
言えなかったのかもしれません。

昔は、住民の間に不満や揉め事があれば、
まずは居民委員会が出て行って仲裁を行いました。
居民委員会は、共産党の最も末端の組織で、
各々の住宅地区に必ず設けられています。
居民委員会のメンバーは、地区の長老や肝っ玉母さんなどで、
住民の不満を解決してやると同時に、
自分の地区で何か不穏な動きがあれば、
すぐに共産党の上部組織に報告する、
という役割を担っている様です。

この居民委員会は今でも住宅地のそこここにあるのですが、
新しく出来た「望京新城」の様なニュータウンには、
どうも無い様な気がします。
私も「望京新城」に1年間住んで、
居民委員会の存在を感じた事はありませんでした。
緑地が変電所になってしまったケースでも、
通常ならば、不満がある住民が居民委員会に訴え、
居民委員会が住民の不満を共産党の上部組織に伝え、
共産党の上部組織がデベロッパーの計画変更は不当、と判断すれば、
有無を言わさぬ行政執行で変電所が撤去され、
緑地が戻ってくるので、
本来、住民運動は起きないはずなのです。
住民にとっても、へたに住民運動をやるより、
居民委員会を味方に付けた方が、
よっぽど効率的に主張を通す事が出来ます。

しかし、今回のケースでは、住民が自発的に集まり、
運動や集会をやっています。
共産党の仲裁を仰がず、
デベロッパー対住民の利害の衝突、直接対決、という、
非常に資本主義的な展開になっています。
そこに居民委員会の影は見えず、
共産党は民事不介入を決め込んでいる様にさえ見えます。


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