第260回
社会主義国家の乞食

社会主義国家・中国には、
本来、乞食は存在しないはずなのですが、
実際は、北京の街のそこここに乞食がいます。

北京の乞食の形態は様々です。
汚いなりをして、ただただ座っているだけの人、
歩行者の行く手に立ちはだかって、おねだりする人、
子供を使って、通行人の袖を引っ張らせる人、
片足がなかったり、知恵遅れの子供の手を引いたりして、
人の情けに訴える人、などなど。

しかし、北京の人たちは乞食にほとんどお金をあげません。
親族や友だちなど「身内」と認識している人が、
乞食に身をやつしているのならば、
全財産を投げ打ってでも助けますが、
見ず知らずの乞食に「金を恵んでくれ」と言われても、
お金をあげる「理由」がありません。

更に、根本的な問題として、
北京の人たちは、彼らが本当に生活に困って
乞食をやっているとは思っていません。
日本では「何とかと乞食は3日やったらやめられない」
と言いますが、ここ北京でも、
乞食は結構儲かるので、
彼らは乞食を1つの職業として選択している、
というのが、一般の人たちの見方です。

「営業」を終えた乞食が、
近くにとめてあるマイカーで家路につくのを見た、
という人もいますし、
北京の冬は厳しいので、
冬の間は海南島辺りでバカンスを楽しんでいる、
といううわさもあります。
確かに、冬は北京の街角から乞食が消えます。
う〜ん、怪しい。

斯く言う私も、乞食にお金をあげた事はほとんどありません。
今の中国、やる気さえあれば、仕事はいくらでもあります。
お金は労働して稼ぎなさい!と思うからです。
ただ、1度だけ、広い道路を1回の青信号で渡りきれず、
乞食と2人で中央分離帯に取り残され、
乞食が近寄って来るのですが逃げ場が無く、
その時は我慢できずにお金をあげてしまいました。

資本主義競争社会の負の象徴である乞食。
日本よりはるかに多い乞食の数は、
今の中国が資本主義国家・日本よりも、
ずっと資本主義的である事を物語っています。


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