第366回
「民工」という安くて豊富な労働力

以前、内陸部から都会へ出稼ぎに来る「民工」は、
「盲流(まんりゅう)」と呼ばれていました。
「都市への盲目的流入者」、略して「盲流」だそうです。

私が以前勤めていた丸紅の北京支店は、
北京駅のすぐそばにありました。
農村で食っていけなくなった農民が、
なけなしの金で北京までの片道切符を買い、
家財道具や洋服など全財産を入れた農薬袋を背負って
北京駅に下り立ったはいいが、
土地勘も、知り合いも、行くあてもなく、
北京駅の周りで途方に暮れる...。
近代的なビルから1歩外へ出ると、
こんな「盲流」の人たちがたくさんいました。

運良く仕事にありつけた「盲流」はよいのですが、
仕事がない「盲流」は
食っていかなければなりませんので、
盗みを働いたり、
黒社会(へいしゃーほい、暴力団)の手先として、
違法な仕事をしたりするそうです。
北京の人たちが、「北京市で起こる犯罪のほとんどは
地方から来た外地人の仕業」と言ってはばからないのは、
この為です。

しかし、経済発展が加速し、
建築需要が急増する様になると、
こうした「盲流」の人たちの労働力は、
中国の経済発展に欠かせない存在となりました。
蔑称に近い「盲流」という呼び名も、
敬意を込めた「民工」という呼び方に変わりました。
「民工」という安くて豊富な労働力が、
急速な経済成長を支えたのです。

ただ、農民をやっているより、
「民工」として都会に出稼ぎに出た方が、
収入が多くなる、という事で、
内陸部の農民たちは大挙して都会に押し寄せました。
この為、単純労働者の人材マーケットは、
常に供給過剰となり、
「民工」の給料はいつまでたっても低いままでした。

それが今回、単純労働人材に対する需要の急激な高まりと、
内陸部の所得水準上昇による「民工」のUターンにより、
ようやく供給過剰状態が解消されたのです。


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