第566回
「四十にして惑わず」

私、先月でとうとう40歳になってしまいました。

孔子(こんず)曰く
「四十不惑(すーしーぶーふぉ、四十にして惑わず)」。
日本で40歳のことを
「不惑(ふわく)」と呼ぶのはこのためですが、
私、「不惑」を迎えてもいまだに惑ってばかりです。

邱さんの著書にも、
「若気の至りも四十迄」とか、
「四十歳からでは遅すぎる」など、
40歳をテーマにしたものがありますが、
これはそれだけ「不惑」を迎えても惑う人が多い、
ということを表しているのではないでしょうか。

さて、邱さんがその著書でおっしゃっているのは、
「失敗しても若気の至りで済むのは40歳まで」ですし、
「40歳までサラリーマンをやったら、
もうそのままサラリーマンを続けなさい」ということです。

私はたまたま、35歳でサラリーマンを辞めて独立し、
今でこそ何とか食っていけるようになりましたが、
「不惑」を迎えた今、独立当時の食えない状態を
もう一度やれと言われたら、もうできません。
あんなことは一生に一度で十分です。

これが20代の独身の頃だったら、
養わなければいけない家族もありませんので、
とりあえず、自分一人食っていけばよいわけですし、
気力も体力も充実していますので、何回失敗しても、
成功するまでトライし続けることもできるでしょう。

しかし、これが、40代、50代と進むに従って、
家計の負担は重くなっていきますし、
気力も体力も落ちていきますので、
失敗が許されなくなってきます。
宮仕えに嫌気が差しても、
サラリーマンを辞めて独立することは
どんどん難しくなっていくのです。

40歳、と言えば、会社では課長などの役職に就き、
自分の将来がかなりはっきり見えてくるのと同時に、
家庭では子供が学校に通い始め、
徐々におカネがかかりはじめる年齢です。

そのまま会社に残って上を目指すのか、
それとも、独立して第二の人生を歩むのか。
どちらの道を選ぶにしても、40歳という年齢は、
人生の後半をどのように生きていくのかを選択する、
ラストチャンスになるのではないでしょうか。

孔子が2,500年後の日本人サラリーマンの人生を想定して
「四十不惑」と言ったとは思えませんが、
人生の後半をどのように生きていくかは40歳までに決め、
「不惑」を過ぎたらやっぱりもう惑ってはいけないのです。


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2006年6月5日(月)

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