第655回
「きっちり」としていることを前提とした社会

私が10年前に北京に来たときには、
東京と比べるとすべてがいい加減で、
何をやっても予定通りにことが運びませんので、
いつもイライラしていました。

出張に行こうとすると、
何の説明もなく飛行機が何時間も遅れたり、
石炭を積み込む船がもう港に到着しているのに、
肝心の石炭はまだ港に着いていなかったり、
人と待ち合わせをしても、
何の連絡もないまま、いつまで経っても来なかったり。

そんなことが起こるたびに私がイライラすると、
丸紅北京支店の中国人スタッフが
「イライラしても問題は解決しませんから、
落ち着いて待ちましょう」となだめてくれたのです。

その後、私も随分中国のペースに慣れ、
イライラすることもなくなりました。
「中国では予定通りにいかないのが当たり前」
と思うことによって、トラブルが起こったときにも
平常心を保つことができるようになりました。

変に期待をするから裏切られたときにショックなのであって、
最初から期待をしなければ、失望もないのです。

一方の日本は、すべてが非常に「きっちり」としています。
飛行機は定刻に飛び、納期は守られ、
待ち合わせた人は時間通りに来ます。
もし、何かの都合で予定通りにいかない場合でも、
飛行機が遅れた理由は丁寧に説明してもらえますし、
待ち合わせに遅れそうなときには、
事前に連絡をしてもらえます。

これは日本が世界に誇れる優れた点ではありますが、
「きっちり」としていることを前提とした社会は、
いわゆる「遊び」がありませんので、
何かトラブルが起こった場合には、
被害が大きくなる傾向があります。

例えば、IP電話。
先日、NTTのIP電話で通信障害が起きた際に、
会社の電話を全てIP電話に切り替えた会社の社員が
「仕事にならない!」と怒っているのが
ニュースで報道されていました。

当社も通信コストセーブのため、
中国網通(わんとん)とIP電話の契約をしていますが、
いつでも問題なく使える、などということは
最初からまったく期待していませんので、
トラブルがあったときにはすぐに
一般回線に切り替えができるようになっています。

「きっちり」とした社会は、非常に効率が良く、
それはそれでとても良いのですが、
その「きっちり」に過度に期待して、
いつもギリギリのところで走っていると、
トラブルが発生したときに、
今まで効率のよさで稼いできた分を
すべて吹き飛ばしてしまうような、
大きな損失を出してしまう可能性があるのです。


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2006年12月29日(金)

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