第1066回
希望小学校で再認識した教育の原点

私、先日、一昨年に引き続き、
河北省灤平県(るあんぴんしぇん)にある
北京日本人会希望小学校に
通訳ボランティアとして行ってきました。

灤平県の北京日本人会希望小学校校舎

希望小学校とは、学校のない
貧困地域の子どもたちに就学機会を与えるために、
中国の青少年発展基金会が行っている
学校建設プログラムによって建てられた小学校です。
建設費用の半額に当たる20万元(280万円)を寄付すると、
残りの半分を基金会が出資して、
貧困地域に小学校が1校建つ、というシステムです。

北京日本人会では今まで河北省を中心に、
中国各地に10校の希望小学校を建設してきました。

寄付をすると小学校の名称に寄付団体の名前が入る

北京日本人学校の先生方は、
毎年夏休みに3班に分かれてこれらの希望小学校に行って、
地元の子どもたちのためにボランティア授業をしています。
昨年は北京オリンピック開催の影響で
中止となってしまったのですが、
今年はこのボランティア授業が復活することになりましたので、
私は一昨年と同じ希望小学校を志願して、
日本人学校の先生方と子どもたちの交流を助ける
通訳ボランティアをしてきた、というわけです。

希望小学校の子どもたちと
一緒に勉強し、一緒にご飯を食べ、一緒に遊んだ3日間、
一昨年同様、すばらしい体験でした。

日本人学校の先生方が
子どもたちが興味を持ちそうなおもしろい授業を
用意してくださったこともあるのですが、
それを差し引いても子どもたちの
授業中の真剣なまなざしや積極性は、
「新しい知識を学ぶことはすばらしいことである」
という教育の原点を再認識させてくれました。

ひらがなの毛筆にチャレンジする子どもたち

一方、学級崩壊が社会問題となっている日本。
先生が授業をしているにも関わらず、
生徒が立ち歩いたり騒いだりして、
授業が成立しないこともあるようです。

これは日本が豊かになりすぎて、
学校に行くことが当たり前のことになっており、
逆にその「やらされ感」に反抗心を抱く子どもたちが
学級を崩壊に導いているのではないでしょうか。

豊かになって
教育が当たり前のように受けられることは
すばらしいことです。
しかし、その当たり前が続けば、
教育を受けられることのありがたみは
忘れ去られてしまいます。

授業中に立ち歩いたり騒いだりして、
学級を崩壊させる子どもたちは、
中国の貧しい農村に「下放(しゃーふぁん)」して、
学校で勉強できることのありがたみがわかるまで、
つらい農作業をさせた方が良いのではないか、
と私は思います。


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2009年8月10日(月)

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