第1275回
韓国躍進の起点

北京に住んでいると、韓国のプレゼンスが
どんどん大きくなっていることを強く感じます。

街には現代自動車の
エラントラやソナタのタクシーがたくさん走り、
北京の丸の内・CBD (Central Business District)には
LGビルやSKビルが並び、
北京の原宿・西単(しーだん)は
韓版(はんばん)と呼ばれる
「カワイカッコいい」韓国風デザインの洋服で
あふれています。

空港高速沿いのコリアンタウン・望京(わんじん)や、
西の学生街・五道口(うーだおこう)には
韓国焼肉屋とハングル文字の看板が並び、
当社のオフィスの近くにある現代ビルの周辺では、
韓国語の会話が至るところから聞こえてきます。

北京在住の韓国人は12-13万人と言われ、
日本人の10倍以上。
外国からの留学生もどこの大学でも
韓国からの留学生が圧倒的に多いそうです。
このため、私はタクシーに乗ると運転手さんからよく
「おまえは韓国人か?」と訊かれます。
北京の街で中国語の発音がおかしい東洋人が
タクシーに乗ってきたら、
それはかなりの確率で韓国人なのです。

今でこそ、北京の外国人最大派閥として
幅を利かせている韓国人のみなさんですが、
1997年のアジア金融危機で
韓国がデフォルト寸前まで追い込まれたときには、
北京の街から韓国人が
ほとんどいなくなってしまいました。
ウォンの大暴落で北京での生活費が
賄えなくなってしまったのです。

しかし、その後、韓国経済が持ち直すと共に、
一度は引き潮のように引いていた韓国人のみなさんが、
それこそ津波のようにどっと北京に押し寄せました。
デフォルト寸前まで追い込まれた経験が、
韓国人のみなさんをして
「中国マーケットは韓国の生命線だ」という認識を
更に強くせしめたのでした。

中国マーケットだけではなく、
韓国企業の中国以外のマーケットでの躍進も、
中国への留学生がダントツに多いのも、
国民の英語教育に力を入れているのも、
済州島への中国人の旅行をビザ免除にしたのも、
済州島に投資移民制度を導入したのも、
仁川空港を東アジアのハブ空港、
釜山港を東アジアのハブ港にしようとしているのも、
全て、「国外からおカネを稼いでこなければ、
韓国に未来はない」という強烈な危機感を
全国民が共有しているからだと思われます。
そう言った意味では、今日の韓国の躍進は全て、
1997年のアジア金融危機で
デフォルト寸前まで追い込まれた
辛い体験が起点になっているように思います。

一方の日本は、
韓国よりもずっと国力があったおかげで、
景気が悪い悪いと言われつつも、
何とかそのまま生き延びることができました。
しかし、逆に、変わらなくても生き延びられたせいで、
政治も経済も構造改革が遅れ、
それが現在の停滞や未来に対する閉塞感を
招いているようにも思います。

将来の躍進のためには、
日本も一度、韓国のような強烈な危機を経験し、
全国民が危機感を共有する必要があるのかもしれません。


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2010年12月10日(金)

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