第1323回
「腐敗のない独裁体制」は可能か?

民主主義は「国民1人1人が国の政治を決める」
という理想的な政治体制です。
しかし、古代ギリシャの都市国家・アテナイの昔から
現在に至るまで、この理想的な政治体制が
理想的に機能した国家などあるのでしょうか。

民主主義国家には1人1人の国民に、
目先の私利私欲ではなく、
長期的な国家の運営を考える高い見識が求められます。
なぜなら、そうでなければ政府は選挙に勝つためだけに、
国民のポケットにおカネが入るような
後先のことを考えない政策ばかりを打つ
衆愚政治に走ってしまうからです。

その点、独裁体制ならば、
独裁政権は目先の利益よりも将来的な国家の繁栄のために
長期的な計画を元にした政策を実行することができます。
これは来年は異動になるかもしれない大企業の管理職が
今期の決算のことしか考えられない一方で、
今後もずっと社長であり続ける中小企業のオーナー社長が、
将来の大きな利益のために今期の損を我慢する、
という決断ができるのに似ています。

しかし、イギリスの歴史学者・J.E.アクトン卿曰く
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」。
独裁政権の絶対的な権力には、
絶対的な腐敗という副作用が必ず付いて回ると言われています。

中国の人たちの中国共産党に対する不満は、
全てこの「絶対的な腐敗」に集約されると言っても
過言ではありません。

よく日本では
「貧富の格差の拡大は、中国社会最大の不安要素だ」
というような報道がされていますが、
中国の人たちは自分の努力不足で貧乏なのに、
努力して金持ちになった人を妬んで
足を引っ張ろうとするような甘ったれた人たちではありません。
彼らが怒っているのは、
中国共産党一党独裁体制の権力による腐敗を利用して
金持ちになった人たちであり、
真っ当な方法で金持ちになった人たちではありません。
中国で今求められているのは
「結果の平等」ではなくて「機会の平等」なのです。

こう考えていくと、腐敗という副作用さえなければ、
民主主義よりも独裁体制の方が
優れている点も多いような気がしてきます。

中国共産党中央紀律検査委員会と
網民(わんみん、ネット市民)のコラボによる
「腐敗のない独裁体制」。
天国のアクトン卿も驚くような、
こんな理想的な政治体制を築くことは
できないものでしょうか。





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2011年3月30日(水)

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