第1333回
中国の人たちの「拝金疲れ」

重慶市のトップ・
薄熙来(ぼーしーらい)党委書記が始めた
「紅色キャンペーン」

毎日楽しみにしていた娯楽ドラマが突然打ち切りになったり、
「紅歌(ほんがー、毛主席時代によく歌われた革命歌)」を
歌わされたり、と重慶市民はさぞや不満を
募らせているのではないか、と思ったのですが、
これが意外と市民の受けは良いようです。

これは薄熙来氏が暴力団・汚職官僚一掃キャンペーンの成功で、
重慶市民から絶大なる支持を得ている、ということもありますが、
一方で、中国の人たちが最近「拝金疲れ」をしつつあり、
「こんなことなら改革開放政策前の、
共産主義国家時代の方が良かったのではないか」という迷いが、
疲れた心に現れてきていることを
示しているのではないかと思います。

最近、重慶の四川美術学院を卒業した26歳の男性は
「私たちより上の世代は、生活は厳しかったものの、
ある意味では将来の不安はなかった。
重慶市の取り組みはこうした古き良き時代を
思い起こさせてくれる」と語っています。
毛主席の時代は、国民全員が今よりもはるかに貧乏でしたが、
少ないながらも収入は保証され、
みんなが平等だったので地位をめぐる争いもなく、
生活をする上でのストレスは現在よりも
ずっと少なかったのではないか、ということです。

これまで中国の人たちはわき目も振らずに金儲けに邁進し、
そのおかげで中国は驚異的な高度経済成長を遂げ、
国民生活も以前と比べてはるかに豊かになりました。
しかし、ここに来てふと立ち止まり、
金銭的には豊かになったのに、
精神的には逆に貧しくなったのではないか
と思う人が増えているような気がします。

そんな中国の人たちの「拝金疲れ」を敏感に読み取り、
市民に支持されることを見越して
「紅色キャンペーン」を始めたのだとしたら、
薄熙来氏は大したものです。

更に、「私利私欲を捨てましょう」とか、
「人に親切にしましょう」などといった
単純な道徳キャンペーンではなく、
紅歌やベチューン、雷峰など、
誰にも批判できない毛主席に縁の深いものを
掘り起こしてきたところなども憎いところです。
中国では文化大革命は批判しても大丈夫ですが、
毛主席は未だに絶対に批判してはいけない
聖域的な存在なのです。

1978年に改革開放政策が始まってから33年。
そろそろ「拝金疲れ」をしてきた多くの国民に支持されて、
重慶の「紅色キャンペーン」は今後、
中国全土に広がっていくのではないかと私は思います。





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2011年4月22日(金)

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