第1509回
中国が模索する新しい民主主義の形

1989年の天安門事件から一昨日で23年となりました。

ちょうどその年に社会人となった私は、
会社の英語研修でアメリカ人の先生に
「あなたは民主主義のために、戦車の前に横たわれますか?」
というテーマで英語でディスカッションをさせられました。
民主主義は絶対善だと信じて疑わなかった当時の私は
「戦車の前に横たわってでも、民主主義を守りたい」
と主張したことを今でも覚えています。

しかし、その7年後に中国に駐在となり、
その後16年間中国に住んで
いろいろなことを見聞きしてきた今の私は、
民主主義は絶対善であるとは言い切ることができません。
なぜなら、中国に限らずどの国の民衆も国家の主権を持たせて、
国の行く末を任せられるほど賢いとは思えないからです。

民主主義は非常に理想的な政治体制です。
国民1人1人が主権を持って国家を運営していく。
これ以上に美しい政治体制があるでしょうか。

しかし、実際には、民衆の中で
国の行く末を考え尽くした上で投票行動に出る人は少なく、
大部分の人は自分のポケットにおカネを入れてくれて、
自分の生活を豊かにしてくれる人を支持します。
国家の未来と国民の現在の豊かさに矛盾が生じた場合、
民主主義国家の民衆は通常、自分たちの現在の豊かさを選択し、
国家は破綻に向けて坂を転がり落ちることになります。

そう考えると、国民の現在の豊かさを多少犠牲にしても、
国家の未来のための政策を打ち出すことができる独裁国家には、
民主主義国家よりも明るい未来が待っているような気もします。
子曰く「民は之に由らしむべし、知らしむべからず」です。

ただ、アクトン卿曰く「絶対的権力は絶対的に腐敗する」。
これもまた真理であると思います。
国民のチェックが利かない独裁政権には、
常に腐敗のリスクが存在します。

民衆パワーの増大により、
今後、政治改革による民主主義化を余儀なくされる
中国共産党一党独裁政権。

彼らが役人の腐敗を防ぎながら、
国家の未来を考えた政治ができる、
欧米諸国とは一味違った新しい民主主義の形を
示してくれることを期待しています。


←前回記事へ

2012年6月6日(水)

次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ