第1526回
「中国の大学に受かってから来てください」

先日、我が家の長女が
清華大学と中国人民大学を受験し、
両校とも合格しました。

普通ならば「おめでとう!お疲れ様!」というところなのですが、
彼女の受験はこれからです。
なぜなら、彼女は日本の大学への進学を希望しており、
清華大学と中国人民大学には最初から行く気がなかったからです。

では、なぜ清華大学と中国人民大学を受験したのか?

それは、日本の大学が受験に当たって、
中国の大学の合格証書の提出を要求したからなのだそうです。

正確には当初、日本の大学からは、
日本の大学センター試験に相当する
中国の全国大学統一入試、通称「高考(がおかお)」の
結果を要求されました。
しかし、外国人は「高考」を受験できないことが判明、
それを日本の大学に伝えると
「ではそれに代わる大学の合格証書を持ってきてください」
と言われ、進学するつもりもない
清華大学と中国人民大学を受験したのだそうです。

これは就職試験で言えば、
丸紅を受けに行ったら人事部の人から
「まずは伊藤忠の試験を受けて、
内定証書をもらってから
改めてうちに受けに来てください」
と言われたようなものです。
こんな傲慢な話があるでしょうか。
それに清華大学と中国人民大学と言えば、
両校とも中国で5本の指に入る名門校。
日本の大学はどれだけエラいんでしょうか。

さらに、この日本の大学の理不尽な要求により
うちの娘が合格したことによって、
本当に清華大学や中国人民大学に進学したかった受験生が
不合格になっているかもしれません。
もし、そんなことがあったとしたら、
迷惑にもほどがあります。

「そんなわけのわからんことを言う日本の大学は放っておいて、
清華大学か中国人民大学に行けば?」と娘に話したのですが、
本人が勉強したい学科は中国の大学にはなく、
どうしても日本の大学に進学したいのだそうです。

大学に限らず、柔軟性を欠く日本のお役所。
役人が法律や規則を忠実に守ることによって社会の秩序が保たれる、
というのはその通りであるとは思うのですが、
その法律や規則が現実から乖離しているのではないか、
という発想はみじんもないようです。

一方で、現場の役人が社会の実情に合わせて、
ケースバイケースで判断をする中国のお役所。
役人に判断をする権限を持たせていることが、
腐敗の温床になっていることは事実ですが、
その柔軟性が社会を滑らかに回す潤滑剤の役割を
担っているのもまた事実なのではないかと思いました。


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2012年7月16日(月)

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