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49. 不正から学んだ人材育成術(1/3)

中国で仕事をする以上一度や二度の人間不信、
人間嫌いを経験するのはきわめて正常です。
事実わたしも、一度足らず「もうやっていけないかも。」
と思ったことがあります。

その人間不信を引き起こす最大の原因は不正です。
中国での人財管理を語る上で避けては通れない内容。
踏み込むにはあまりにデリケートで、
しかし踏み込まざるを得ないテーマです。

私が直接経験した社内不正の問題を、
記憶を呼び起こしながらご紹介し
その学びをまとめ、
人財育成にどう活かすかを考えてみたいと思っています。
これから書くのは、事実ですが、
わたしはその不正を起こした本人を恨んではいません。
これはきれいごとではなく、本当に恨んでいないのです。
その「恨んでいない理由」と
「中国でなぜ不正が起こるのかという本質的な原因」
には関係があると思っています。
そのことを最後に書きたいと思います。


その事件が起きたのは、
私が2号店の開業準備をしていた時でした。
店作りですからいろいろな工事業者が絡みますが、
当然のことながらその中には内装会社も入っています。
中国の店作りでとても頭が痛いことの1つに
この内装会社の選択と管理というのがあります。
ですから、内装会社選びにはとても慎重になり、
結果入札をすることにしています。
入札に参加したのは3社で、
A社:初めての会社 
B社:初めての会社(出入りする看板業者の紹介)
C社:1号店を施行した会社
という構成でした。
内装工事は、店舗工事の中でもっとも費用が高く、
ひとたび不正が発生すると
その被害も大きいことから
私は不正防止の意味で次のように決めていました。

1.入札参加各企業の紹介元をはっきりさせる
2.入札資料はだれにも見せない
3.最終店舗選定は自分ひとりで決める

今はこのようなやり方はとっていませんが、
当時の私は過度に不正を恐れていたため
このように考えていました。

1号店での多々の失敗を踏まえて
2号店の店舗開発で、
私は内装会社の選定・契約・施工管理を請け負う
建築施工監督管理の会社をやとっていました。
各社の入札資料をその監督会社に渡し、
入札内容の分析を依頼し、
もっとも合理的に安価な内装会社を選定しようとつとめました。

結果として選定されたのがB社で、
2号店の工事は順調に開始された、ように見えました。

それから数週間たったある日、
1号店の店長から震える声で突然電話がありました。
「しゃっ、社長、大変です。
いま、内装工事会社が雇っている現場工事の連中が
店の前に立ちはだかって営業を妨害しています。」

1号店の内装会社(2号店の入札に参加したC社)は、
工事の一部に未解決な問題を抱えていたため、
まだ工事代金の10%を支払っていませんでした。
そのことにしびれを切らした内装会社が、
強硬手段で現場の人間を店舗の内外に送り込み、
営業妨害をしてきたのです。

「なるほど。」

2号店の入札が終わるまで
その内装会社の社長は非常に良い態度で私に接してきました。
2号店の工事が取れれば、
1号店の10%分も
2号店の工事代金で吸収できると考えていたからです。
しかし、一度、選定されなかったことがわかると、
手のひらを返したようにこういった強行策をとってくるのです。

私は、店長に「実害が出始めたらすぐに公安(警察)を呼べ」
と指示を出しました。
奇しくも、この事件が起きたのは、
3ヶ月に一度邱先生が成都にいらっしゃっていたその日でした。
私にとって先生がいらっしゃる時間は、
3ヶ月に一度先生からいろいろな話を聞いたり、
相談をしていただいたりと、
会社また私個人にとって大切な時間だと考え、
一切の予定をいれずに時間を確保している時期です。

しかし、“最悪の問題は最悪のタイミングで起きる”
とはよく言ったもので、
現場で処理をする店長のプレッシャーは極限まで高まり、
時間も夕刻に入り実際にお客様に影響が出てくるようになると、
私自身が店舗に向かうことにしました。

工事現場の人たちは、
一筋縄では行かない連中で、
店の入り口のところで赤いプラカードに
「我々の血と汗の結晶である金を払え!」
と書いて立ちはだかり、
梃子でも動こうとしませんでした。
聞けば彼らも給料の一部をストップされているとかで、
我々が払わないとそのお金がもらえないと必死な様子でした。
ある意味彼らも犠牲者でした。
なんとか数十分の説得の末、問題を解決すると、
私は冷や汗をぬぐいながら
「これは向こうの社長とさしで話す必要があるな。」
と心を決めました。

そして邱先生がお帰りになったちょうど次の日に、
私は先方の社長と食事をすることにしました。
場所は、市の中心部にある「北京ダック」の店でした。
しかしこの時は、まさかそこで
社内の不正について知ることとなるとは思っても見ませんでした。

(つづく)


2008年2月25日(月) <<前へ  次へ>>