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71. お金には色がついています
9393のコラムでおなじみの柳田洋さんのコラム
「第898回 君子愛財 取之以道」はお読みになったでしょうか。
その中で、手段を選ばない中国の人々のお金に対する哲学のなさ。
たしかにどのように稼いだ100元でも同じ100元だけども・・・、
という話がされていました。

私も常々同じように感じており、共感してしまいました。
(柳田さんの話にはしょっちゅう共感しています、実は)

儲かればその手段はどうでもよいという考え方には、
普通の日本人であれば抵抗感を感じるものですが、
貧しい時代がしばらく続いた中国の一部の人々は

「有了銭再説明(ヨウラチエンツァイシュオー)」
=(まあそういうカネに関するきれいごとは)カネが出来てから考えればいいじゃないか

といって、まず稼ぐことを優先する傾向にあります。
だから、自分がお金を稼ぐことを、
あらゆる方法を使って最優先する人間が中には(けっこう)います。

正直に告白すると、実は私も昔そう思っていた人間でした。
ちょうど韓国に留学していた時期で10年ほど前になりますか。
当時私は友人たちによくこんな話をしていました。
「俺、絶対に金持ちになってやる。
金持ちには金持ちの考え方とか哲学があって、
金を稼がない人間がきれいごとを言ってもそれは、負け犬の遠吠えでしかない。
だから、俺は、数年の間魂を悪魔に売ってでも金持ちになることに集中する。」

すると友人がこんなことを私にいいました。
「なあ、シネン君(私の韓国名)。
君のそういう勢いのあるところは僕も好きだけど、
人間ひとたび心を鬼にしてしまったら、もうその時点でほんとの鬼になってしまうんだよ。
魂を悪魔に売ってしまった瞬間から、君も悪魔なんだよ。」

この言葉にはショックを受けました。
ほんの少しの間でも悪魔になることを決めたら、もう悪魔だと。
そして単純な私は考え方を変え、
「きれいな心でお金を稼ぐことを考えよう。」と思ったのでした。

そして、数年後、私のお金に関する考え方に
また小さな衝撃を与えた出来事がありました。
それは、私の友人の習慣でした。

彼は、非常にマメな男でした。
彼と私がちょうど一緒にいるところに彼のおばさんという人が遠方から来ていて
彼に小遣いを封筒で渡したのでした。
彼は、それを受け取ったあと部屋に戻ると、金庫にそれをしまいました。

彼の金庫にはなんと、そういうたぐいの封筒がたくさんはいっており、思わず
「それなに?」と聞くと、
「あのな、俺、お金をだれからもらったかキチンと分けて整理してるの。
そして、その人に恩返しをするときや、
その人と関係のあるお金の使い方をするときにその封筒をあけるんや。」

と答えました。

一瞬、ばかばかしいと思った私でしたが、
よくよく考えると見ると、その彼の
「これはあのおばさんからもらった2万円だから大切に使おう。」
という態度というか気持ちはとてもお金とその人を大切にしている。
そのことに少なからず感動しました。

そうして私は、お金をかせぐにも使うにも意味があると考えるようなりました。
表現を変えると、お金には目に見えない色がついていて、
きれいな純白なお金もあれば、汚れた黒いお金もあるのです。
もし自分の身の回りに黒いお金を集めすぎたりすると、
そのお金の色がそれを保有する人の心にも浸透すると、そんな風に考えています。

だから、私は、会社の理念にも

「会社の目的は利益を上げることではない。
会社が存在する目的は、"企業活動を通じて世の中を喜ばせること"。
顧客であれ従業員であれ投資家であれ。
利益は企業が長期的に存続し、
その喜ばせる活動を続けるための前提条件である。
だから、企業は絶対に利益をあげなければならない。」

としています。
この目的、手段、前提条件を間違えてはいけないと常々自分に言い聞かせ、
そして従業員にも繰り返しています。


2008年7月28日(月) <<前へ  次へ>>