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145. 大バカ者の行く末

私は、自分の履歴書を書くときは、当然ですが、
自分をうまくアピールできるような内容をそこに盛り込みます。

ここ5年ほどは履歴書を書いておりませんので更新していませんが、
今の自分の履歴書を書けばきっとこんな風でしょう。

「タイの王立チュラロンコーン大学の大学院をトップで卒業し
王様より直接卒業証書を授与される。
その後アジア中を旅しながら留学を繰り返し、
5ヶ国語を操り、いち焼肉屋の雇われ店長から
世界最古の経営コンサルティングファームに入社し
5年をコンサルタントとして勤める。
その後商売の神様と出会い、
現在は2社の社長及び2社の取締役役員を務める。」

かっこつけて書いてますから、かっこよく聞こえて当たり前ですが、
どんな人でもお化粧すればそれなりに見えるものです。

こういった私の経歴を見て、
私のことを優秀だと捕らえる人もいるようですが、
そんな私にだって、たくさんの失敗と数え切れない挫折があります。

私はその昔、自分が通う高校で、
学校一番の大バカ者だといわれていた時期があります。
学校の定期試験では540人中527番をとり
―ちなみに、私の後ろに続く番号のほとんどが
テストを欠席した人でしたので、実質はほとんどドベです―
現代文の授業では、毎回やる小テストの成績が悪く、
各クラスの成績が悪い連中が集められた
補修クラスでまたドベをとり、
その先生に「お前は学校一のどうしようもないバカだ。」
と罵られながら、ほっぺに強烈な張り手をくらって
気絶しそうになったこともあります。

その日、悔しくて悔しくて
「いつか見返してやる。いつか、必ず見返してやる。」
と涙声でその言葉を繰り返しながら家に帰りました。

結果、高校3年生の時に30校、浪人をして20校、
見事に大学に振られたのでした。
単純に受験料だけで150万円です。
高校が毎年発行する内部資料で
私一人だけ不合格校リストの枠を飛び出して印刷されていました。
(当時勉強を完全に拒絶したのには
私なりの理由があったのですが。)

そんな私ですが、常に夢だけは忘れませんでした。
たぶん子供のころに両親に与えられた愛と、
そして自分をどこまでも信じてしまう天性の楽天性が
自分を支えてきました。
今は、ちょっとかっこつけた表現を使って着飾れば
人に褒めていただけるようになりました。

何が言いたいのか。

人間は変われるということだと思います。

俺もできたから、お前もできる、というつもりはありません。
でも、人間は変わっていけるのです。

人間の体中の細胞がすべて入れ替わるのに30日と変わりません。
体の7割弱が水だということは皆さんもご存知だと思います。
その水がすべて入れ替わるのに、
体重70kgの人が一日3L(3KG)の水を飲むとすれば
20数日間で入れ替わる計算です。

体を取り巻くほとんどのものが早いペースで変わっているに、
その当人だけが変われない理由はまったくありません。

自分が変われるという可能性を自ら否定することなく、
そして、肉体的には
1ヶ月以内にすべてが変わってしまう事実を理解して、
自分をどんどん変化させてみてください。

PS
最近自分で気になっていることがひとつあります。
それは、私が書く内容が
あたかも成功しちゃった人のような書き方になっていないか
という自問です。
私は、すでに成功した人間ではありません。
ただ常に、自分に対する挑戦を続けているだけで、
その自分への挑戦には何回か勝利してきました。
だから、そんなえらそうな気持ちで書いているわけではありませんから
どうぞ誤解なく。


2010年1月4日(月)

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