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245.惑わず

邱先生の真似をして、
今日は私の誕生日ですと、やるわけにはいきませんが
先日、不惑の年を迎えました。

子曰。吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。
五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。
 (論語、為政第二)

不惑とは上にあるような論語の言葉ですが、
人生を思うに、むしろ経験が増えるごとに
惑うことも多くなるようにも思います。

先日友人が、
「私、中国語の勉強スランプなの。」と言いました。
私の反応は「ああ、それはよかったね。」
というものでしたが、
それにはこんな意味があります。

よく引き合いに出しますが、
大学時代テニスをやっていました。
何回も何回もスランプに陥り、
道を光を見出そうといろいろな本を読みました。
わかった事は、スランプとは成長に必要な過程だということ。

その昔、高校生のころ英語が得意な時期がありました。
変な自慢ばなしではありませんが、
平均して偏差値で65ぐらいでした。
でもそれは中学生の時にしっかり勉強した下地だけで
もっていた力でした。
その後、大学受験にいやになるほど失敗して、
一から勉強しなおした時、
なんと、45ぐらいまで落ちました。
勉強したのにですよ。
理由は、答えに迷い始めたからです。
その理由は、知識が増えたからです。
その後、勉強を続け、何とか力をつけ
以前よりより高いレベルで安定しました。

私の友人が、スランプだと感じるのは、
以前より知識が増えて、何を口に出すか迷うからであって、
また、聞こえる音があれにも、
これにも聞こえるからです。
つまり、力がついたから迷うんです。

不惑。

たくさんの情報と判断が錯綜するなかで、
惑わない方法は、
惑い続けること、
諦めずに進み続けて突き抜けることです。

これが私が不惑の歳に思うことです


2011年12月12日(月)

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