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183.フェアプレー、ルールとは?

変化の早い中国に暮らしていると、
刻々と変わるルールに神経質にならざるを得ません。
また、同じ中国でも香港ではルールが違ったりするので、
ルールとは何だろうと考えさせられてしまいます。

例えば生活に身近な例では、
中国ではご存知の通りGreat Wallという、
万里の長城をもじったネットの閲覧制限があります。
海外で人気をあるYoutubeやFacebook、Twitterなど
個人が世界中に情報を発信するようなサイトは
大陸では閲覧できません。
中国の人が思い思いにメッセージや画像、動画を投稿したら、
国際的な議論のネタに困らない事は容易に想像がつきます。
Google中国が「中国政府の検閲」への抗議をして、
香港に追い出されましたが「文句があるなら出て行って!」
と言うのは道理があると思います。

中国ルールがある一方で、中国では海外映画などの著作物が無料で
閲覧されているというルール違反は取り締まりが不十分です。
ルールは、それを決めた人が一番得する仕組みになりがちですが、
中国は別人によって作られたルールはまず疑い、
ルールに縛られない様に立ち回る事が
生まれた時から身についているようです。

これはどういう思考回路なのか?
中国には「打落水狗」(だーるおしゅいぐー)という諺があります。
池で溺れている犬、つまり落ち目の敵に追い討ちをかける、
という意味です。
中国の小説家、魯迅はこの諺を引き合いにして
フェアプレーについて議論しました。
彼は池で溺れている犬にも3種類ほどいるのではないか?
一に、足を滑らせ、自ら池に落ちた犬。
ニに、他人が落いつめて池に落ちた犬。
三に、自分が追い詰めて池に落とした犬。

犬にも色々いるのだから、如何なる犬(相手)かにより
行動を決めるべきではないか、ということです。
最初の二つのケースで、犬を叩くのなら、
フェアプレー精神に反すべきことだろう。
最後の例は、後々に災いを残さないよう叩くのが正であると。
ちなみに著作権においては、発展途上の中国は、
一、二のケースだから大目に見てくれとなるでしょうか?
魯迅は1881-1936年を生きた人ですが、
こうした考えが現代の中国の方々の考えに
脈々と引き継がれているのかなと感じます。


2011年7月22日

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