あの時期に書かれた推理小説は、松本さんのものにしろ、有馬さんのものにしろ、特に推理小説という名前をつける必要がまったくないほど作品として骨組みがしっかりしている。というのは、それまでの推理小説は、最近、角川書店などが盛んにあおっているものもふくめて、まったくお話にならないものが多く、梅崎春生氏のごときは、「自分は推理小説は一番最後のぺージを先に読んでから、最初の一ぺージに戻って読むことにしている。作者が本当の犯人は誰かということをどうやって読者の目からごまかそうかと苦心するのが面白いからだ」といっている。もともと探偵小説とか、推理小説とか呼ばれるジャンルの作品は、娯楽読物なんだと思えば、別に腹立たしいことはないが、推理小説に文学の裏打ちをしたという意味では、有馬さんと松本さんに功績があると私は思っている。

その有馬さんは、西荻窪にある広大な有馬邸の庭の一部に家を建てて住んでいた。戦後、財産税で身ぐるみ剥がれて残った郊外の最後のよりどころみたいなところに、お父さんの邸があり、別棟に頼義さんも住んでいたが、いくら反抗してもやはり有馬家の縄張りからそう遠くまで行けないところに、有馬さんの弱さがある。有馬さんは、奥さんと一緒に私の家で食事をしたことが何回かあるが、当時は、私の家にコツクもおらず、家内がお手伝いさんを助手にして台所に入ったっきり、私の方はお客にサービスをする必要上、テーブルについて一緒に食べている。二時間も三時間も、長夜の宴がつづいたあとで、帰るお客さんたちに挨拶するために女房が出てくると、有馬さんの奥さんが「ご馳走さまでした」という代わりに、「邱さんの奥さんにならなくて本当によかった」といった。

これは案外、本音であろう。しかし、その有馬さんも、創作上の行き詰まりに耐えかねて、自殺をはかったり、睡眠薬びたりの生活におちこんだりした。新しい恋人をつくったり、離婚したり、最後は一人で、仕事部屋で睡眠薬の飲みすぎで、掃除にきた小母さんに、死んでいるところを発見されるような、淋しい結末になってしまった。それもこれも、弱い、繊細な神経と、それを遥かに上回る強い反逆精神のアンバランスから生じた悲劇のように、私には思われてならないのである。

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