邱飯店のメニュー

〜まえがき〜

私の家の食事に邱飯店という名をつけたのは、文塾春秋の社長池島信平さんであった。どんなに忙しくても、私が招待の電話をかけると、必ず都合をつけ、ご自分や奥さんだけでなく、「あの人を連れて行ってよいか」「この人も連れて行ってよいか」とゾロゾロ友人をつれて来られた。老大家や今をときめく流行作家の中にも食いしん坊は多いから、「よォ、邱飯店に行こう」と池島さんが誘うと誰でも喜んで私の家にメシを食いに来た。

といっても、私の家は誰でも来られるわけではない。先ずイチゲンさんは入れない。それからどんな料理を食べても、お金はとらない。その代わり食べている間、仕事の話はしない。またどんなに忙しい人でも、中座してはいけないし、電話の呼び出しに席を立ってもいけない。洋の東西の無駄話にふけり、料理を楽しむだけの一夕である。

こういう食事の会を狭い我が家でやっているうちに、三十年の歳月がたった。家も五回かわり、今住んでいる家は新しく建てた家をまた建てなおした。我が家に足を運んでくれた人たちも池島さんをはじめ、多くの人たちがあの世に行ってしまった。この作品を「週刊ポスト」誌に連載した時、有名な作家の名前をあげたら、若い編集者がその名を知らず、「何をしている人ですか」ときかれたのには往生してしまった。
文章の生命は長いというけれども、後世に残るものは万に一つもありはしない。文章よりは食欲の方がずっと長い。本はすぐ読まれなくなってしまうけれど、お腹はいつもすいている。だから食べる話をすると、皆、目を輝かせる。おいしい料理に楽しい話題が加われば、それが最良の消化剤になる。我が家におけるその記録がこの本である。消化剤とまで行かなくとも、清涼剤の役割をはたしてくれれば、とても嬉しい。

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2007年2月18日(日)更新
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まえがき
一、 最初のお客は佐藤春夫と檀一雄
二、〃一本刀土俵入り〃の世界
三、〃邱飯店〃開店
四、健啖こそ長寿の秘訣
五、金を想うがごとく友を想う
六、メシで釣って文壇へ
七、"第三の新人"と友達に
八、五味康祐、そして有馬頼義
九、『ミシュラン』『あまカラ』『東京いい店うまい店』
十、小島政二郎・白井喬二・子母沢寛
十一、梅崎春生のメスの羊
十二、"邱飯店"の名付親・池島信平
十三、スポンサーの鑑・鶴屋八幡
十四、大編集者の風貌と条件
十五、"日本料理は滅亡する"
十六、宰相御曹司、舌鼓を打つ
十七、獅子文六の「バナナ」
十八、市村清と今東光のコンビ
十九、栗田春生の痛快な人生
二十、大屋晋三とカ、カ、カのかあちゃん
二十一、〃違いのわかる男〃たちの話
二十二、メニューに出ない料理のメニュー
二十三、永遠の少女・森茉莉
二十四、西洋料理のコックを雇う
二十五、政情が描く台湾の料理地図
二十六、コックを雇って精神修養
二十七、年と共に変わる料理の中身
二十八、大宴のメニューは自分でつくる
二十九、宰相夫人佐藤寛子ミニおばさん
三十、〃食通知ったかぶり〃紳士録
三十一、紅焼大網鮑と砂鍋大排翅
三十二、『邱家の中国家庭料理』楽屋話
三十三、美食と大食は紙一重
三十四、カミナリ族の大親分本田宗一郎
三十五、高度成長の立役者 盛田昭夫夫妻
三十六、三十六、招待状を書く楽しみは残しておいて
あとがき

■邱 永漢 (きゅう・えいかん)
1924年台湾・台南市生まれ。1945年東京大学経済学部卒業。小説『香港』にて第34回直木賞受賞。以来、作家・経済評論家、経営コンサルタントとして幅広く活動。現在も年間120回飛行機に乗って、東京・台北・北京・上海・成都を飛び回る超多忙な日々を送る。著書は『食は広州に在り』『中国人の思想構造』(共に中央公論新社)をはじめ、約400冊にのぼる。
(詳しくは、Qさんライブラリーへ

■Qさんへのメールはこちらまで: moshiq@9393.co.jp


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